父と暮す 一周忌法要

お寺に行って、上げ法要だった。
母の好きだったお菓子と花を一対持ってお寺に行って、3巻のお経を頂いて、お茶を頂いて帰った。

良いお寺様に出会った。
これもまた縁である。

 
お墓に行って花を共して、お参りした。


 
 
あげ法要が終わった後、夕食である。
もうすっかり元気になってきている。随分辛かったと思うが、最近では後10年生きるという。
僕も死ぬ訳にはいかない。
毎日、自分のために食事を作り、父と共に食べる。
「世話になるなあ、食ってばかりで、申し訳ない」と父は言うが、「家族の食事を作るのは当たり前のこと」である。

いつから「介護」などというおかしな言葉ができたのだろうか?
今度ゆっくりと考えたい。




仕事の金が入ってきたら、この数珠を買うことにした。
母の好きだった堆朱で彫りが入っている。











母の父親の話をいつも思い出す。

もう随分前に市会議員だったのだが、道路を作ろうとしていたのだが、どうしても土地を渡さない男の家に殴り込みに行ったそうである。
ノコギリで手足を切り落として、家に火をつけるつもりだったという。
結局、その家の犬が可哀想で火をつけるのは止めたそうである。
それでも追い回して机の下に逃げ込んだろころを押さえつけようとしている所に警察感が来て逮捕されたそうである。


母は、その猛々しさをおじいさんから受け継いだのだろう。
怒ると手がつけられない人だった。

そして僕は母の子である。





2016年1月11日母の初七日であった。僕は全く前の見えない闇の中にいた。


母が亡くなり、葬儀の時は不仲だっただった兄とも和解して、母の弟(叔父)を敬い葬儀は済んだのであった。


そして、2016年1月11日は特別な日になった。

母の弟(ネズミ男)の家に怒鳴り込んだ日である。
警察も知っていることなので、事情を書いておくことにする。
まあまあ、ひどい一年(2016年)の始まりはあの日だった。

初七日の前日(10日)に、あまりにひどいことを言われたので、母への香典を叩き返しに行ったのである。
車で乗り付けて、玄関の戸を叩き開けて、土足で家を歩き回り、ねずみ男を見つけて30万円を叩き返したのである。



僕はネズミ男の会社で1時間説教された。
会社を潰せと言われた。
母を汚いバアだと言われた。
人前で糖尿病だなどと言うなと言われた。
最後は不愉快だから帰れと言われた。

母が亡くなってまだ5日しか経っていなかった。
そんなことを言うとは正気の沙汰ではない。


後日東京に住むカエル男にそんなつもりではなかったと言ったそうだが、なんと生ぬるいやつだ。
一回口から出した言葉が消えるとでも思っているのだろうか。



俺は、そう言われた後で一日悩んだ。
もう生きていたくなかった。
痩せても枯れても、ネズミ男は弟である。俺と同じように母を慕っていたと思っていたのだ。

会社の経営は苦しかった。
糖尿病は直ることのない病気である。
苦しい10年の後に死ぬ病気である。
いっそ死のうと思っていたのである。
今は主力商品が生まれ大きく伸びていくが、あの日はもうどうでも良かったのだ。
母を失って最低の時に泥足で俺の人生を踏みにじりやがったのだ。

会社を潰せば父は介護施設に入れねばならない。
自殺すれば、3千万円の保険金が入ってくるから、妻に後頼めると思った。





まあ、土足で朝の6時に怒鳴り込まれた方も驚いただろう。
しかし、死ぬつもりで乗り込みながら、結局、金(葬儀の時に偉そうに持ってきた香典の30万円)を叩き返しただけの自分には驚いた。
胸ぐら掴んだ時のネズミのよう目ン玉を下あいつが「真也くん落ち着きたまえ」と言っている言葉で我に返っったのだ。
母が止めてくれたのだ。

僕の悪夢では、胸ぐらをつかんで、顔をぐちゃぐちゃにするまで頭突するのだ。
葉が折れ、鼻が潰れる、目から血を流して、動けなくなる。
そこで目が覚める。
そんな夢を見なければならない自分が辛い。



今でも、ねずみ男の家の前を通ると自動車で突っ込みたくなる。
その男の会社の前を通るたびに怒鳴り込みたくなって体が震える。
まあ、この感情はもう収まることはない。

2015年11月に東京のカエル野郎が、父を拉致しに来るといいたしたのである。

もうこのカエル夫婦とねずみ男とは和解しなくてもいいと決めた。


しかし、今でもよくあの時に我慢できたなと思う。
もしあそこで殴ったり物を壊したり、殺したりしていたら、今のプロジェクトはここまで進まなかった。

しかし、あの時点ではこんなふうに僕の周りの世界が動くとは思いもしなかった。




アドラーは言う、現実に立ち向かうことでしか人生は開けない。



果たして僕はあの悪夢を見ないようになれるのだろうか。
苦しんで亡くなった母のことは忘れられない。
カエル野郎がどれだけ母を苦しめたか、そしてねずみ男がどれだけ母に恩を受けたのか。






コミュニティ論からこの1年を見直してみたい。
コミュニティというのは共通の利益を持つ。
同時に参加者が自分のリソースを提供する。
そして、得られた利益を分配するルールを持つ。
コミュニティにはリーダーがいる。

今回の事件は、「母、ねずみ男、カエル野郎、僕」の4人のコミュニティで、リーダーである母が亡くなった時の問題とみなせる。
母は、毎回東京からカエル野郎が来るたびに20-30万円の交通費を渡していた。そして共に夕食をすることを望んでいたが、この輩は一人fr来た時は一回も夕食を共にしないで帰りやがった。お陰で母は精神安定剤の飲み過ぎになる。なにせ、翌日の明け方からこのカエル野郎を探すのである。今でもその時のことを思い出すと涙が出て来る。そして僕はカエルを踏み殺す悪夢を見る。

当然リーダーが亡くなったのだから、次のリーダーが決まらなければならない。
と同時に、利益である。
父の名義の不動産がその利益になる。
父は100坪の土地を二箇所に持っている。片方は、父の生家の土地であり、今人が住んでいる。もう一つは、父が住んでいる家である。
この両方を売り払いたいのがカエルとネズミの利益である。
僕の利益は父の遺言通りにすることである。

父の遺言は本家の土地は本家の跡取りに遺贈して、今住んでいる土地は、俺の名義にして、半分を更地にして売った金額をカエルに渡すというものである。
既に父には、預金も現金も一切ない。

カエルとネズミにとっては気違い沙汰である。
なので、「親の遺産の話などはなくなってからすればいい」などと言うのである。
俺に収入がないと言って、「お前の夢にオヤジの年金は使うな(だから赤字の会社は潰せ)」「おじや時が生きているうちに売れば遺言など何の効果もない」などというのだ。


母が亡くなった時点で、コミュニティは消えたのである。
カエルとネズミにはそのことが分かっていない。










後に、カエルはわざわざ新発田に来て、自分には権利があるから行使する本家の跡取りに宣言して帰ったり、俺を精神病院に淹れるように妻にラインしたりしているのである。
そして俺とは会わないとハッキリと言っておきながら、新発田に来ても小遣いがもらえないとわかると、「父のために」話し合いたいという。

哀れである。


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