岩手国体の記録 国体のお仕事

多くの人に助けられた記録室業務だった。

最終日、賞状を出す2時間前に、職責の上席の人に印刷見本を見てもらった。
おかしいという指摘をもらい、その時は「今までと変わりない」と答えた(その部分のプログラムには手を入れていなかったのである)。
しかし、よく考えると変なのである。
しらべて見ると、プログラムは変えていなかったのだけど、データに細工して同じ文字列を2箇所で別に表示していたのである。その細工を忘れていたのである。

命拾いであった。指摘があと2時間遅かったら、そもそも見てもらわなかったら、150枚位以上の賞状は皆出し直しであった。自分自身の慢心が、こんなミスを生むのである。心していかねばならない。
いつも、忘れてはならないことである。






3つのゴルフ場で初めて会った(同じ役場に勤めているから知り合いではある)6人ずつのチームを作り、3日間の大会を通じて一つのチームになっていくのである。
大会の最後には150枚近くの賞状を非常に短い時間の間に印刷するのである。
彼らのチームワークにはいつも感動する。

毎年、システムの導入をやっているようなものである。
8年間3箇所で6人ずつである。150人以上の人たちと出会ったことになる。皆忘れられない思い出だ。
その6人のチームで一人隊長というチームの調整役を決めてもらうのだが、女性が隊長になったのは岩手が初めてだった。それも2チームであった。

素晴らしかった。

 
 
 
 
 


岩手山は美しかった。昔、この山をきれいな山だと言っていた友人がいた。どこで何しているだろうか。


 




みんな位この土地の名産は何かと聞いたら、キャベツだそうだった。
道の駅でキャベツ買おうと思っていたのだが、道の駅にたどり着けず、買えなかった。


いつか来たら買おう。




初めての岩手はとてもいいところだった。
ホテルもスキー客向けの大きなもので、最初はどうかなと思ったのだ。
しかし、接客係りの人と話したら、とても気さくな方だった。

僕が糖尿病でご飯食べないと言ったらなんと丼キャベツを出してもらえた。
レストランお支配人は、しっかりとお客さんのニーズに従うと言っていた。
いいことである。



 


朝夕の食事はバイキングだったのだが、自分の好きなものを好きな量食べられたので良かった。
さほど血糖値は高くもならず、いい感じだった。

夕食に、湯豆腐が出ていたので普通の人の3倍食べたのであった。

 
 
 

やっぱ部屋では買い込んだビールとおかずである。
冷蔵庫の中は満杯であった。

   
 



 
昼食もこんなもの。時間があまりになかった。


から付き蒸ホヤは好みではなかった。



鯨の刺身は美味しかった。スーパーに普通に売っていたのにはびっくり。
記録室の人に話したら、よく海を泳いでいると言われて驚いたが、冗談だった。




お土産はこんなものであった。メーカーズマークは半分飲んだ。

 





宮沢賢治の遺稿が見たくて花巻まで行ったのだが、残念あがら所蔵されていなかった。
結核で亡くなった賢治の絶筆「眼にて言ふ」は心打つものがある。

僕はいつか、彼の見た青空を見るのだろうか。





帰りの新幹線でのご飯



10月2日に出発して。
今年は親父が見送ってくれた。

10月8日に帰ってきた。


ああ、楽しかった。


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