母の納骨

2016年5月13日、母の納骨だった。
11日に予定していたのだが、雨の為に延期となった。
まあ、色々とあって、そのうち書かねばならないが、まずは落ち着いている。


母と最後に池を見て、鯉に餌をやった。
暖かく穏やかな日だった。
今でも去年夏、母とここで並んで池を見ていた事を思い出す。
国体の仕事で和歌山に行く少し前で、母の精神安定剤(ディバス)への依存も治まりつつあった。
糖尿病との生き方もわかってきた頃だった。
あの時が、僕と母の長い時間の小休止だった

 
納骨をした。一緒に般若心境を入れた。妻と父と、お寺様と、仏壇屋さんのマッキー(呼名)と僕の5人の納骨だった。
マッキーは僕に写経を始めるきっかけをくれた恩人である。大変スムーズに納骨は終わった。

お墓の時も、「開眼法要」というのだと知り面白かった。

人の縁とは不思議なものである。


 
椅子を持って行って、座って色々な話をした。のんびりとした温かい春の日の午前だった。


 
父は、すっかりと落ち着いた。母が亡くなった頃は随分悪かったが最近はそうでもない。
夜は一緒に酒を飲んだ。
もう母の死を悲しんではいない。
人というのは、新しい人間関係の中で、深い喪失を癒されていくものなのだろうか。

父と僕ら家族一人一人の関わりは大きく変わったのである。

相変わらず寝ている時間は長いが、元気である。あと10年生きると張り切っている。



 
よく日、庭に母の好きだったあやめが咲いた。
母が大好きだった堆朱の花瓶に入れた。



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