父母のための栄養学(7)ここ数ヶ月の総轄 調理の最適化とは何であろうか(1)

昨年10月に初めて、今年1月からは朝晩毎日食事を作っている。猛烈に面白い。
自分が年をとってできることが少なくなった時に、忘れないために毎日の記録とをとっている。
子供達が、「父母のため」と思いこの記事を読んでくれたらいいなあ。



10月にスタートした時は、週に数回食事を作るというものだった。
父が自動車の運転を止めるということになり、また、母が上手く料理を作れなくなってきているということもあり、そう取り決めたのである。
また、母も自分がまだ料理ができるとアピールしたい(まだボケていない)ところがあり毎日作ることなはなかった。

僕も、まだ、老人の為の食事を考えてはいなくて、時々お盆に料理を積んで持っていく程度だった。




12月末に、母が腰を痛め毎日作る事になった。しばらくは大変だった。

料理をつくるというのは継続と対コスト効果(経費と時間=健康)の問題である。いくら栄養価が高く数話らしい食事でも毎日続けられなければ意味が無い。

如何に短い時間で6人分の食事を作るかの戦いであった。
そして6人の内2人は10代、2人は84歳で、後は僕と妻である。

やがて、戦いは生きがいに変わる。



目標は「夕食1時間以内、朝食(弁当*1あり)30分以内」で作るということであった。

また、買い物も有るので、このコスト(何をどこで買うのかの判断)もバカにならない。
当然買い物は、メニューから決定される、メニューは前日の残りなどを加味した上である程度のスパンで適切な組み合わせにならなければならない。

また、各個人の持つニーズ(好き嫌い)もあり、簡単には決められない。

猛烈に複雑な計算が必要になる。





基本的なポリシーを決めて、スケジューリングする。
一回一回の食卓の容易の手順を最適化することでこうsとの削減を図る。
毎食の消費傾向(何がどれだけ残っているか)を見ることで、メニューの最適化を図る。
メニューの最適化とは組合わせを考慮に入れて単品を選択することである。




システムを作るときの「クリティカルパス」の計算によく似ている。



かつて私達の伝統的な食生活では「暗黙知」として受けつが得てきた技術である。「言語での伝達、学習」でない「自己変革の道筋」である。ヒトの持つ保守性(命を守るための最深部のガード)の変化のプロセスである。








父母はいくらヨーグルトが体にいいと言って買ってきても食べなかった。
そこで一計、フレッシュな果物を入れて、パウダーシュガーで甘くして毎日持っていくようにしたのである。

段々パウサダーシュガーを少なくして行っている。
毎日の朝夕のヨーグルトを最高にうまいという。
一緒に食事をすると、ご飯を食べながら、スプーンで食べるのである。
おまえも食べないかいと言われる。
便秘の薬もいらなくなりつつ有る。





経済の変化(グローバル化)とそれに伴う核家族化、コミュニティの細分化、遠隔化が全てを変えた。
自分が年取った時に迎えるべき姿を見えなくして、老人を認知症と呼んで施設に隠す。

まさに今の社会は隠蔽(見たくないものを隠す)の社会である。

精神病院、刑務所、スラム(居住地区の分離)、そして老人向けの施設である。

憂鬱な未来である。





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