糖尿病の食事学 シーズン2 わが禁酒の記

昔から、禁酒の繰り返しの人生だった。

最初の禁酒は、糖尿病と診断を受けた直後だった。

糖尿病だという診断を受けて、糖負荷検査の後で相当悪いということを知った。


この時は、糖質制限も知らないで、3ヶ月で120kg->95kg へとおおよそ25kg落とした。
当然、自殺的ダイエットであった。

3ヶ月で25k落とすには随分無茶しなければならない。
脂肪分は全くといらず、キャベツを電子レンジで温めたものを食った。
こんにゃく麺を食った。ありとあらゆるダイエット食品を食った。
最後には、顔がぱさぱさになり、動機がしてきて、命の危険を感じて、止めた。


この時期に完全に酒を絶っていた。
死の恐怖、病気への恐怖が原動力に成るのである。
ほんとうに死んだら元も子もない。





その後の検査で、PL診療所で荻原先生という方に出会えたのが良かった。
ご自身も1型の糖尿病で、色々とお話を聞けて考えることも多かった。







まさに糖尿病の入り口のことである。

実はその2年ぐらい前にすでにをうとう悪かったはずである。
足の指が水虫で癒着して、すねの辺りまでグチョグチョのクレータのような傷が登っていた。
イタミはないのである。

なんとなく収まって、転職した先のソフト会社で受けた健康診断が最初の糖尿病の診断であった。
こんなに働いて、自分お体など顧みない3年間の結果である。
色々なことが重なって、転職(独立)前後にダイエットを始めた。


丸元淑生さんの本を読んで、糖尿病を知った。
食養(マクロビオテック)に詳しい人と出会った。
「陰陽二元」とか余り好きにならなかったが、玄米を食べ始めたのもこの頃であった。

その後、病状は、余り変わることも悪くなることもなく、体重は85kg->100kgぐらいの間を推移していた。



まあ、酒が好きだからなあ。
ライムサワーの帝王だった。

最初に2杯頼んで来た瞬間に一杯飲んで、おかわりが来るまでにもう一杯飲んで、来たらまた頼んで.......たゆまなく僕の細胞はライムサワー漬けになるのだった。
乱暴な話である。


多食多飲の芸人人工透析を始めたとか聞くと憂鬱になる。
商売でなったんだから労災ぐらい下りればいいのにとおもう。






ストレスを酒で解消するというのは嘘である。
酒を飲みたいという細胞の欲望があって、その理由のために「ストレス」が持ちだされているのである。

去年「アドラー」と出会えたのはすべらしい体験だった。
酒のんでストレスを発散させるというが、ストレスを生み出している現実はそのままそこに有るのである。

そんな暇があるならばそれを解決するべきだと思わないかい?


60兆の細胞が望み、意識に伝える。
意識は細胞からの要望とは知ること無く、行動へと反映させる。
不思議である。








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