ソーシャルスキル批判(3)子供達は厳しい現実を生きる、教師などには想像もできない。

僕は、中学の自炊遠足で、ボンカレーを作った。嫌な思い出である。

ボンカレーのどこが嫌かわからないと思うが、クラスで男女混合の班に分かれみんなで自炊した。
僕の班は。クラスで「汚い子」と考えられていた女の子(Iさん)が一緒だった。
男の子3人と女の子2人だった。
僕ら男の子は、Iさんと話をしたくなかった。クラスでは、彼女と話をすると「汚い」が移るとと考えられていた。
彼女の家は、母子家庭で、裕福ではなく、ボロのアパートに住み(大体の住所を知っていたがその地域に行くことはなかった)制服もテカテカだった。

他の班は皆、全員で飯盒でご飯を炊いて一緒にカレーを食べていた。
うちの班だけ、別々な飯盒で炊いて、ボンカレーを男子は温めて食べた。

女子は二人っきりでカレーを作っていた。

今でも思い出す。嬉しい記憶ではない。


恐らく彼女のおかあさんは(当時では珍しい)離婚をして苦しい生活で、彼女を育てていたのだろう。
クラスの親たちは、きっと彼女をのけものにしたと思う。
そして子供達も、それに習うのである。


Iさんがみんなに受け入れられ、共に人生を生きるためには、どんな言葉を使えばいいのだろうか?ソーシャルスキルの達人の方々にはお聞きしたい。

どんな美辞麗句を使っても、その現実は変えられない。

親たちが変わらなければならないだろう?




それぞれの人生は違い、親同士の好き嫌いは有るだろう。
しかし、それが理由で、こども同士がイガミ会うことはない。

世間というバイアスのない瞳には、そのれぞれの内面は映るはずである。
子供同士の共感力を僕は信じたい。




親同士はみんな仲良くは出来ない。
しかし、共に生きていくのである。
共に生きるという決意をもって、生きよう。
僕らは、どんなに違っていても、ここで生きなければならないのだ。



遠いところに自宅のある教師にとって、は他人ごとかもしれない。
けども、あなた方の子どもも同じように扱われるのだ。
あなた方は、その共同体に属しているのだ?


自己変革は可能だろうか?


時に思う、Iさんは、幸せな人生を遅れているだろうか?
すでに知る方法はない。

ボンカレーを見る度に思う。

539597