ソーシャルスキル批判(2)マイノリティを尊重できる社会

僕は、中学2年の時に勇気のなさから、一人の友人を失った。僕もイジメの側に立っていた。

彼(T君)は「男女(オトコオンナ)」とか、「おかま」とか呼ばれていた。
クラスの乱暴者(後日僕をイジメる事になる二人組)がそう呼んで、小突いたり嫌がらせをしていた。

2年生になって、僕と同じクラスになった彼らは農村部の小学校から中学に上がってきた。
僕は市内の学区の小学校で、ほとんど付き合いはなかった。
僕はH君と話をするようになり、何度か家に行ったり来たりをした。

いつの間にか、T君が「オトコオンナ」である(と呼ばれている)ことを知った。
一緒に遊んでいると僕も「オトコオンナ」と呼ばれるのかなと思い、遊ぶのを辞めた。
彼に話しかけられた時、知らない顔をした僕を許してもらえるかなあ。

その後の記憶は全くない。

そしてその後、僕は乱暴者の2人にイジメられ始める事になる。


彼がLGBTかどうかはわからない。人口の10%はLGBTであるという研究も有る。

今の日本の学校教育の場は確実に性的なマイノリティを排除する。




北丸雄二さんが、北海道の高校生が英語のスピーチでゲイであることをカミング・アウトした事を紹介している。

僕は涙が止まらなかった。お願いします、どうぞ聞いて下さい。





新発田では差別のない社会を作るための教育をしている。
果たして、(補助金目当ての)旧態然な同和教育なのか、自分の価値を信じることの出来る社会を目指したものかは分からない。




公教育の場で学校の先生はカミングアウトすることが出来るのだろうか?自分の担任がゲイだと知った時、保護者はどう反応するだろうか?




僕は、子供達に「自分が自分であることを偽らないで行きていける社会」を築いて欲しい。
誰かが孤独の中に生きていたら共に人生を歩んでもらいたい。
いつか自分の問題となって帰ってくる。









ロシアでは同性愛が違法であるという法律が有る。その他の国でも同様の国は多い、
もしかしたら、アメリカのようにカミングアウトが普通の国のほうが少ないかもしれない。

ソーシャルスキルがいくら高くても私達がどんな未来を望むべきかという価値が共有されていなければなんの役にも立たない。


ソーシャルスキル足りないからイジメが起こるというならば、ソーシャルスキルの達人にはお聞きしたい!「自分がゲイであること」をどう表現すればいいのだ。

どう表現したら差別されること無くともに生きることが出来るのだ?

自分が自分であることに怯えること無く生きることは可能なのだろうか。






僕らは子どもに教育しているのではない、自分たちの未来をどうしたいかを選択しているのだ。



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題名を間違えていたので変更しました。マイノリティと書くところをマジョリティとしたいたのです(笑)


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