娘と料理を作る。料理を継続するという事。

来年高校3年になる娘と夕食を一緒に作っている。
今日は冊のイナダがあったので、刺身包丁の使い方を教えた。

彼女が「再来年の4月にはいなくなるんだ」と言った。

『そうなんだよ、社会と向き合って君はすべての問題を自分のものとして解決していかねばならないのだよ』と思った。

それこそが、アドラーの言うところの「自立した人間」なのである。

子供の自立と同じくらい親の自立も難しい。依存は双方向に向かうのだから。



しかし、アドラーの頭の中になぜ、そのような考え方が出てきたのかという事を考えていなかった。「独立した人間」という概念はヨーロッパ近代のものだということを考えると、アドラーがどんな時代に生きていたのかもう一度読みなおしてみよう。



料理は、具体的な技術の塊だから、言葉で教えるような訳にはいかないのである。
実際に作って、継続できなければ意味が無い。

そう考えると『料理』と言うのは総合的な視点から考えねばならない。

また、様々な学問分野が隣接してくるのである。
まさに『食事学』と呼ぶべきものなのである。


1990年台に考えた食事学マップである。
ダイエットで痩せたり戻ったりを繰り返しながら、していた頃である。
驚くことに、今の考え方の原型がある。

また麻菜との料理の経験は、知識が0の人間に料理を継続させるためには、何を伝えなければならないかというプラクテスでもある。
自分自身がなぜそんな切り方をするか、その順番なのか、論理的に説明しなければならない。実に勉強になる。
教えるということは教えられることでもある。




ここ2ヶ月ほどで一緒に作った料理を記録しておかないといけないと思い書くことにした。。


刺し身の捌き方 包丁の持ち方
野菜炒め 肉と野菜の2枚フライパン
煮込みハンバーグ ハンバーグの作り方
カレー シチューの作り方
ミートソース 玉ねぎみじん切り、パスタのゆで方
ペンネトマトソース 玉ねぎみじん切り


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