人はいかに回復するのか

忘れないために、2月7日(日曜)のことを書いておく。

母が亡くなって、酒の量は非常に多くなっていっていた。
僕も、父と夜、訳がわからなくなるまで、毎日飲んでいた。連日である。

当日の、昼食を食べた父が、中々、夕食の時間に来ない。
17時位に行ってみると、玄関に長靴があるが、仏間が暗く寝ている様子だった。
通常4時位から散歩に行くのだが、今日は行っていないようだった。
仏間に行ってみると暗いなか父は起きてはいたが、晩ごはんはいらないという。
たまにはそんなこともあるかと思い、帰ろうかと思ったが、なにか引っかかるのである。
話している言葉が微妙にろれつが回っていない。もちろん昼食後、酒を飲んだ形跡はない。


どうもおかしいなと思い、寝ている隣に座っていたら、30分で3度トイレにいく。
流石におかしいと思い、トイレの方に行くと廊下にオシッコの垂れたあとがある。
声をかけても、まともに返事ができない。
これは尋常でないと思い、救急外来に行こうというが父は立てないのである。
母が亡くなって、1ヶ月と2日である。


救急車に来てもらい、県立病院に搬送する。
便が黒かったということで10年近く前の胃潰瘍の再発が考えられるという。
造影剤を使ったスキャン、貧血の検査などする。
救急外来は混んでいて、緊急な問題は無いと判断され、家に帰る事になった。

その夜は父の横で眠った。
翌日、朝一から内科で検診を受けて、しばらく安静にして様子を見ることになった。


この時の書類はこちらから......20160207.pdf 直


この事があった後くらいから、母の遺影を食卓に置かなくなってきたと思う。
それまでは、夕食を食べながら、「こんなに簡単にひとって死ぬもんかいなあ」と言っていた。


父は、母に呼ばれたのだろうか。
そして母の死を受け入れることが出来たのだろうか。

この後、母のことはほとんど口にすることがなくなった。
時折、話を向けると、あののどかな口調で『おら忘れた』と言う。





この後、数日は父の横で寝ていた。






なんとか父には元気で僕の子どもたちが成人するまではいてもらいたいと思っている。
それが僕の励みにもなることなのだ。

去年、失明の宣告〜死を覚悟して、糖質制限の生活をいかに組み立てるかという事に取り組んだ。

父と母は本気で心配してくれた。
妻も、子どもたちも、僕の決断に異論はあっただろうが、僕の好きにさせてくれた。
友人の医師も、2−3ヶ月様子を見て駄目ならば、インシュリンを始めるというスタンスだった。

今、ここまでいい数字になっているのは、皆のおかげである。

母が亡くなり、僕は父と共に生きることを決心している。
僕の命を救ってくれたのだから。


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