みなが不幸になる介護のシステム。タイマーズ(忌野清志郎さん)の「Daydream Believer 」

ひるね姫」でやられて、少し調べてみた。
原曲の字幕を見ると、全くアホな歌詞だ。
小さい頃、モンキーズのバラエティを見て楽しかったことを覚えている。




一気に、日本語のでのカバーで化けてしまったのだねえ。

CMなどで何度か聞いてはいた。
しかし、母(妻)を失った男の話だとは気が付かなかった。
びっくりである。




何度も喧嘩してばかりだった。
彼女、写真の中で優しい目で僕に微笑んでいる。


僕は、母と最後に喧嘩したままなんだ。
明日謝らなければと思ったまま、母は亡くなった。
もう取り返しはできない、父を守るから、許してください。
おとうさん、僕もあとから行くから、先に逝ったら母に伝えておいてください。
「お前が居なくて寂しかったけど、真也と一緒で楽しかった」と伝えてもらえるように、一緒に生きようね。




なんで、もっと、感謝を伝えられなかったんだろ。
どうして、守ってやれなかったんだろう。
精神安定剤の中毒になったのは僕の責任だ。
隣りに住んでいながら、もっと一緒に居てあげられたのに、忙しさのあまり、一番母が苦しかった時に居てあげられなかった。
毎日、少しずつ自分の力がなくなっていくのが分かり、字もかけなくなっていって、昨日のことも覚えていない。
何度もコンロで鍋をスミにして、ご飯を炊けば炊飯器からあふれるほどになる。

どうして当たり前のことなんだと言ってあげられなかったんだろうか。
なんで介護保険の認定を受けさせたんだろうか。
母は辛かったろうなあ。
出来なくなったら代わりにしてあげるって、なんで言えなかったんだろう。

母は、最後までトイレの掃除をさせてくれなかった。
ヘルパーさんが来てくれても、とにかく文句を言ってさせてくれなかった。
僕がするというと頑固に自分ですると言いはった。

忘れられない。



僕は今、父の住む実家の掃除をする。
朝早く、熱いお茶をポットに入れて、持っていって昨日のポットを持ち帰る時に掃除をする。


家族なんだから、出来なくなったことは代わりにするのは当然、僕は運がいい。




けど、現実は難しい。

役人(社会システム)に代わりにやってもらうことは仕方がない。
今の社会はそう言うものだ。

けど、もっと違ったやり方があるだろう。
今の介護のシステムはみな不幸になる。







僕は本当に運がいい、決して立派なわけではない。
父母の隣に住むことが出来たからなんだ。
家族も、同じように父を大切に思ってくれるから。






日本語に「love」と言う単語を翻訳しようとしたキリシタンの話を安吾の文書で読んだことがある。
「ご大切」と言う言葉を選んだそうだ。
僕にとって、家族はご大切だ、父も妻も子供達も、家族で、ご大切だ。







僕が88歳になれるかわからないけど、子供達がその年になった時にどんな世界を作れるかなあ。

「他山の石」とはよく言ったものだ。




忌野清志郎さんは『COVERS』(カバーズ)1988年で見事な「換骨奪胎師」ぶりを見せてくれている。


僕は差大好き。

ここに詳しかった。


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