幸運な病のレシピ( 1980 )夜:ニシン煮付け、汁、後にキムチチャーハン、豚ソテー

【 2020/3/7の食事 】

おまけで5匹もらった生ニシンの内2匹を煮付けた。汁はいつものように作った。人参、大根、里芋、白菜、ニラ、えのき、しめじを一鍋で煮て湯がいたシャブシャブ肉を加える。毎日のパターンだが毎日違う味に感じる。商品として売るときには好ましいことではないだろうが、相手は「生命」である。違いがあって当たり前だ。


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今朝からの余った惣菜を食べた。豪華絢爛である(笑)。
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ニンニクと豚肉をジリジリと炒めた。肉汁がフライパンに残った。
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残った肉汁で、キムチチャーハンを作った。旨し!
酒も進む、痩せるはずがない。

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均一な味を用意しようとすると間違えが起こる。大量生産の「煮しめ」はクレームが来ないように素材を蒸して柔らかくしてだし汁に付けてパックに入れる。煮しめという「生命のミイラ」である。とは言っても、自分で作った美味しさを知らなければ違和感はないのだろう。

しかし、どうしたらいいのだろうか?「カップ麺にお握りという食事しか出来ないくらい忙しい」のは「格差と忖度の社会」が生んでいる。
いくら働いても、「一生家賃を払い続けなければならない私達」、「自分で給料を決め、時々会社行くだけで何倍もの年収をもらう奴ら」格差は私的財産の保証と自由主義が生んでいる。

生活習慣病が「格差の生んだ病」であることを忘れてはならない。

とは言っても、いずれ自分を失い(認知症)、もれなく最後は施設で辛い人生の終り(何種類もの薬を飲み手術を繰り返す)を迎える。

僕はまっぴらだ。
医者や栄養士のいうことを真面目に聞いている人たちがどんな死に方をしているか調べるといい。
施設に隠した所でいずれは自分がそこに行くのが今の社会なのだ。




「商品化された食事」「政治的に正しい皿の上の栄養学」が『ガンや、認知症、心疾患に循環器、壊疽に肺炎、透析に眼底網膜症、骨阻喪症にリュウマチ痛風膠原病に難病指定、薬で下がる検査値の異常(糖尿痛颶風高血圧に高脂血症)』を生んでいる。
「病(と医者が呼んでいる災厄)」は食事の反映でしかない。

炭水化物は毒ではない、誰もが抗えないほどに魅力的すぎる。食卓は、炭水化物が中心になり、緩慢で直接的な因果関係の見えない欠乏症を生む。
食事作りは面倒だ、私達が作れなくなったのには理由がある。そして僕は毎日素材から食事を作る。



今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
『炭水化物がいらない食卓』はこちら『幸運な病のレシピ 宣言』は[http://d.hatena.ne.jp/masay