「COVERS」(22) ボール
遠くに旅立つ息子に台所道具を少し持たせようとして選んでいる間に色々なことを思い出した。
何個かボールを選んで渡そうとしたら、自分で選んで買いたいという。
そのとおりだ、親父が使っていた道具など新しい生活に持っていきたいわけがない。昨今は何でも安く手に入る。
真新しい道具は素晴らしい冒険の予感だ。
ボール数えたら20個以上あった。
もう廃業した父の実家(海産物、惣菜製造卸)で使っていたものが多い。
平野屋で仕事を始めた頃、ボールがたくさんあったの驚いた。
なにで、数年前までは従業員を雇ってお惣菜を作っていたので商売豆腐だ。
土曜の夜に天ぷらを仕込むときなどは大きなボールに玉ねぎを山と切って仕込んだものだ。
子どもたちとパンを焼いたときイースト菌が上手く発酵しないで苦労したことを思い出す。
大きなボールと小さなボールを使い、湯煎して発酵が進み大きくなったイースト玉をちぎってフォッカッチャを作った。
ピザも焼いた。
帰省して、ボール眺めて思い出してくれるだろうか、葬式の時思い出すだろうか(笑)。
人生の順番だけは守ってほしい。
同じ大きさのものはあっても仕方がないのだが、なかなか捨てがたい。昔のものは厚みがある。
東京で生活を始めた時に買ってもらった包丁と雪平はまだ残っている。
厚手のフライパンはいつの間にか無くなった。今でも時折思い出す。
フェースブックにはカバー写真を設定することが出来る。皆それぞれに気に入った写真をアップロードしてコメントを書く。僕は厨房仕事に欠かせない道具をカバーすることにした。COVERSというのは僕の大好きな音楽家のCDだ。有名な曲の「替え歌」が演奏されている。料理のレシピというのは大昔から家庭でそれぞれに奏でられている音楽のように思う。誰かに習い、毎日奏でる。皆同じ様に見えながら二つとして同じものはない。私達一人一人が違うように。「商品化された食事」は自分らしさを殺す。自分らしく生きるために僕は今日も道具たちと厨房に立ち、料理を作る。このシリーズはこちら。