幸運な病のレシピ( 900 )昼:もやし炒め、目玉焼き、レストランポイポイ

今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
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【 2019/1/10の食事 】
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もやし炒めは難しい。うまく加熱しないと「煮」てしまう事になる。
かといって、水分の全く抜けた「バーベキューもやし」では旨くない。
適度に水分が蒸発しつつ加熱を続け、芯まで熱が入ったところで別鍋に作っておいたソースを加えてぐるっと回す。

僕は大好きなのだ。


幸運な病のレシピ( 900 )昼:もやし炒め、目玉焼き、レストランポイポイ


食べ物の中の「水分」には生命が宿っている。

医学が分析きれない様々な代謝系の高分子化合物が細胞内外の水分の中に含まれている。
「食品成分」とは、あくまでその時点での「医学・栄養学」が分析している「代謝物(たゆまなく姿を変える水素と炭素と酸素、そしてその他もろもろ)」の幻なのだ。
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「医学や栄養学」が、「これで健康になる」と大見得を切っても「病」は絶えない。
さらに分析をして、「代謝物」を細分化するが、そこに見えるのは一瞬の幻でしかない。
どこまでいっても同じ事の繰り返しである。


還元型の分析は工業製品のような規格品には向いているだろう。
人の身体のような「複雑系」には向いていない。
この議論には、論理的にエビデンスは存在しえない。

「存在していると認識しているもの」の影響しか見る事のない「科学的な調査」にはみることのできないものなのだ。

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代謝系の干渉のし合い方は同じものが2つとない。
一見すると同じ病のように見えても、そこに至る道筋はみな違う。
病というのは、身体の環境に対する自然な反応なのだ。

「生命」というと神秘主義的に感じられるだろう(笑)。
乾燥させ、精製した大量消費に向いた「炭水化物がメイン」の食事(=商品化された食事)には「医学が分析していない重要な要素」が含まれていない。
そしてその要素とは、生命が共に生きていく上での共通のプロトコルなのだ。
masaya50.hatenadiary.jp
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次の本の主題である。



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