幸運な病のレシピ( 771)夜:焼き鳥(リンナイ赤外線グリラー 「R-3452-III」)、ギス、キス、手羽先唐揚げ

今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
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リンナイ赤外線グリラー R-3452-III の活躍

【 2018/11/28の食事 】


まあまあ。こんなに手間のかかることよくやるわ。
タレの焼き鳥はハケでつけた方がいいのだろうなあ。
途中で気がついたけど、遅かった。次回はそうしよう。
天ぷらも美味しかった。






父の食事。
今日はいつもの大皿に焼き鳥と天ぷらの小皿がついた。
なかなか豪華である。
買い物から帰った妻が驚いていた。


僕の食事、ビール500×2と白ワインワインを750ml半分飲んだ。
料理酒用の400円以下のワインである。
お腹の中で料理するのである。

楽しいものである。



見かけないカップ麺を見つけたので買って妻と半分分けをした。一杯のかけそばである。

父のご飯をレンジでかけすぎてカワカワになったので、僕が食べた。
ご飯60gである。

血糖値が250mg/dlになった。


食後に高血糖となることも、結構高めで1日が推移することも、最近は以前の様に気にならない。


医師の言うことを丸のままに信じる必要がないことを知ったからである。
勉強するということは重要である。
自分の命は自分で守るほかないのである。


25年間医師の言う通りに生きれば幸せになれると思い生きてきたが、間違いだったと気がつけたのは幸せ(幸運)であった。


「眼科の先生様」に失明を宣告され、インスリンをする様に言われたところから僕の冒険は始まった。

余命宣告や失明宣告は人を殺す。

医師や製薬会社は恐怖で人を操ろうとする。商売なのだから仕方がない。


慢性疾患には手術ではなく食事で向き合う以外ない。奴らはそのことに気がつけないのだろうか?
気がついて知らん顔しているだろうか?
ずべての医者がそうだとは思わないが(いい人もいる)、恐ろしくバカか賢いか、卑怯なのかわからない。全部なのかもしれな。



2018-08-12 『幸運な病のスタディ』(15) 眼底網膜症(失明)の栄養学 細胞の栄養学(5)

眼底網膜症のレーザー治療は繰り返して行くと失明につながる。高血糖が引き起こすのではない、新生血管が生まれる様な環境が引き起こしているのだ。




あの突き放す様な言い方は人の心があるとは思えない。友人のお医者さんには、そういう医者のおかげで頑張れたのだから...とも言われた(笑)。

まあ、ああいう権威的な輩は碌な人生を送らないだろうと自分を慰めることにするが.........。



専門家と言われる連中は、海外の論文を読んで紹介して、本を書いてテレビでコメントする。
あいつら(先生様)は、いつも「最新の研究で違っていたことがわかった」という。

僕の仕事(システム開発)ではそういう言い訳は許されない(ほとんどの商売はそうであるが.....)。
なぜ間違いを正しいと思っていたのかということを分析して、再発の防止策を立てなければ許されない。

そうでなければ、今わかった「正しいこと」が間違えていないことが担保されないではないか。

ソフトのバグが原因で損害が出たら、いかに検収済みで責任が問われないといっっても次の仕事は来ない。
あの人々は、自分には責任がないと知らん顔である。


まさに妄言のオンパレードである。


医者は役人であると考えれば腹も立たないが........。





問題はあいつら(先生様)の言うことが正しいと思い込んでしまう私たちにある。
ああいう輩(先生様)もスーパーやコンビニで買った(栄養士が監修した)弁当や健康食レストランとか行って食事しているのだろう。

誰が監修しようと、商品化された食事は、生活習慣病を招くのだ。

お前達(先生様)も間違いなく「生活習慣病(癌や動脈系、壊疽や認知症)」が待っている。
自分の身の回りの医師を見ればいい。
みんな、「生活習慣病(癌や動脈系、壊疽や認知症)」で人生の最期を迎えているだろう。
決して逃れられはしない。
自分の信じている権威に騙されて、災厄が降りかかってくるのだ。


自分の問題として食事の価値を考えて、未来を予想しなければ、今の生活を変えることはできない。

ゴーン ウイズ シットである。




生化学の勉強をして良かった。
生命を理解することなどできはしない。



血糖値は単なるマーカーだ。
食事が大きく身体を壊していくのだ。マーカーは少し早くそれを知らせてくれる。マーカーを落として、本当の問題を見ないふりするのはあまり賢いとは言えない。

癌のマーカーを落とす薬があったとして、マーカーが下がったところで癌は消えない。

そして全ての災厄は「身体というコロニー」の食事に対しての当たり前の反応なのだ。


とは言っても、甚だしい高血糖は何らかの問題を引き起こすだろう。
なので、適度に調整しながら食事を考えなければならない。
炭水化物というあまりに魅力的でコストの安い食材は取り扱いに注意である。酒もな。





大事なのは食事自身である。
私というコロニーをどのように運用するかは食事で決まる。
体液をブドウ糖で満ち溢れさせる方向に代謝するのか、脂質で満たすのか、どちらを選ぶかは「マイクロバイオームと私細胞」が決める。
コロニーの外に満ちている食環境から決まるのである。
かつては、家族というシェルタの役割であった。
今では、家族は単なる消費の単位でしかない。

生産の単位としての家族をどう考えるかが問題である。
いずれ一人になって生きる。
その時僕は何を見ているだろうか。





この食事で失明したり壊疽で足切ったり、腎臓透析を始めたりしても諦めがつく。
僕は楽しくて幸せなのだ。

もう血糖値が高い状態からは逃れられない。体の一部が死んでいるのだ。
食事で何とかするほかないのだ。
インスリン打って「おにぎり」パクパク食っても仕方がない。

今の僕は、神様にあたわったものである。

食事を作る毎日は楽しい、父が美味しいと言ってくれる食事を作れて幸せだ。


寛解である。


2017-07-21 治療でも諦めでもない「寛解」と言う状態。
2017-07-22 庭師さんが来た(2) 人生の寛解(注1)





来年の1月5日で3年が経つ。

まだ悪夢を見る。
そしてそれで構わない。




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