『幸運な病のスタディ』(23) 時代と向き合ってきた「食事哲学者」の系譜

「まとめ・趣旨」はこちら。このシリーズはこちら。再生リストはこちら



生命の生きる環境はその生命活動が変化させていく。私達の社会も同じように時代の変化とともに変わっていく。

医学が「栄養」と言う概念を発見する前から、「食事」と「身体というコロニーの災厄」の関係は見つけられていた。そしてそれは、「神の意志」として現れるものと考えられてきた。その神の意志は「シェルターとしての家」が「神話・宗教=家族」を通じて維持実現してきたのである。「環境の変化」がゆっくりとしていた時代は「神話・宗教=家族」が十分に機能していた。しかし、問題はグローバリズムによって引き起こされあ「シェルターとしての家の崩壊である。そうして私達は「栄養学」を新たな神話として見つけ出したのである。かくして「生活習慣病」は私達の一部となっていった



食事哲学には大きな潮流がある。宗教的な規範が家族という構造を通じて様々な制限を持っていた。
しかし、家族という枠組みが崩壊することで、それに変わるものを求めたのである。

石塚左玄ー>桜沢如ー>マクロビオテック
マクガバン報告ー>カロリー栄養学ー>カーボカウント
ポーリングー>分子矯正栄養学
Dr.バーンシュタインー>糖質制限
藤本敏夫ー>グローバリズム批判
<< 丸元淑生>>



【生命を捉える2つの考え方】

DNAは全体の設計図であり、誰でもそうなるべきだという考え方

DNAは環境に対する振る舞いを記述したものだと言う考え方

この2つの考え方は大きな違いを持っている。
詳しくはこちらをご覧ください。


【家という枠組みが医療という枠組みを生んだ】

「家という枠組みの崩壊」が、「医療という枠組み」を生んだ。
しかし、「医療」は家という枠組みの表面をなぞっただけでしかなかった。

僕は、もう後戻りができないことを知っている。
そして新たな姿を求めている。



こんな関数である(笑)。
家の崩壊×(商品化された食事+医療の権威化)=生活習慣病



石塚左玄 1851年(嘉永4年) - 1909年(明治42年
桜沢如一 1893年- 1966年】
30代の初め、東京で玄米食を始めた。もうすでに糖尿病の診断をされていた。
驚くほど効果があり、その後、20年以上玄米一筋であった。
石塚左玄先生、桜沢如一先生の本を読んだのもその頃だったと思う。
肺炎で病院にも行かないで、家で寝ていた時、玄米のおかゆを頂いた。
元気になると同時に硬かったウンコが一気にフカフカになり、驚きの一言だった。
回復後、玄米を圧力鍋で炊き始めた(当時は玄米を炊ける炊飯器はなかった)。
それから20年以上玄米とは長いお付き合いだった。
2015年に穀物を食べない生活に入りだして、食事体型が変わり、玄米も食べなくなってきた。



ライナス・ポーリング 1901年 - 1994年】
ライナス・ポーリング先生の事は丸元淑生先生の本で知ったと思う。
分子矯正栄養学(医学)を始めている。
メガビタミン療法を提唱したが、有効な効果とならず批判にさらされる。
こちらをご覧ください。



丸元淑生 1934年 - 2008年】
最初のスタートは丸元淑生先生っだった。
もういつくらいに買ったかはわからないが、食事をなんとかしたいと思い少しずつ読み出していた。
糖尿病の診断前から料理も調理器具も大好きだった。
そして、グローバリズム批判を展開した「生命の鎖」を出版する。


藤本敏夫 1944年 - 2002年】
藤本敏夫先生の事は糖尿病の体験談を読んでいる内に知った。
社会と人の関係を主軸に据えて、病気を見つめている。
大変参考になった。
こちらをご覧ください。



【リチャード・バーンスタイン 1932年 - 】
リチャード・バーンスタイン先生の著作と出会わなかったら、どうなっていたかわからない。
Dr.バーンスタインのことはいくら書いても書ききれない。
バーンスタイン博士のことはこちらをご覧ください。



1163712




石塚左玄先生のことは、このブログではこのエントリーが一番古いだろうか。
フードヘルス石塚左玄塾と言うサイトにとてもよくまとまった先生のお話が載っている。今年の福井(国体)行きが楽しみだ。


2018-10-02 福井で出会った石塚左玄先生の研究家 岩佐勢市先生

福井国体で先生とお会いできました。2018/11/22 記

1205210