生産性のあるセックス、ないセックス LGBTQの問題を巡って(1)

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LGBTQの問題を巡って色々なことが言われているが、「子供を生む」ということが「生産性」と結びついていた時代って随分昔のことである。




農業や、単純労働、自営業、こういった「家業」を持っている場合は子供の数が多い事こそが生産性に結びついたのである。

家族で家業を維持している場合は、当然であるが子供は「新規社員であって、父が定年になったときには次期社長である。
僕の小さい頃は、農家も、八百屋も魚屋も皆そうだった。
地域での商売が成立していて「循環して再生するする家族」が成り立っていたのである。



母の世代はまさに家族が多ければ多いほど無料の労働力が手に入ったのである。

今では、地域で商売をして世襲するのは「政治家」か「医者」か「学校の教師」そして、地域の小悪人だけである。
頑張っている農家の人や小さな商店もあるが、風前の灯である(ミニグローバリズムに走る他ないのだが問題は多い)。

そして、沢山の子供は必要ない。






子供は「労働力」であり「戦力」であり自分が年取った時に「介護職員」であり、「奴隷」で飢餓の際には食料にもなる(今もそうである)。

そのために、家父長制度があり、社会の中に多重の関係性とメンタリティが存在していた。

コミュニティにおいても「子沢山」はコミュニティの力を増すベクトルになるので、親のいかんを問わず子供が多いことは財産であった。男性側に問題がる場合などはコミュニティの別な男性の種で生まれる場合も多かった(と思う)。





LGBTQは人口の10%は存在する。聖書の昔から、ヒトの歴史において常に存在したであろう。
と言うよりも、「生物の体内外で生きて、操るマイクロバイオーム」にとっては「性別」も「種」さえも関係はない


そして、家庭や地域のコミュニティはヒトが生き残るためには維持されなければならないから、事は厄介であった。
自分の性の対象が周りと違うことは隠し続けるか偽るかしなければならなかった。

そして家族・宗教」を通じて何十にもバインドされ、ペナルティが張り巡らせられた。

まだそんな時代から50年と過ぎていないのだ。







しかし、今は違う。
社会自身の構造が変わってしまったのだ。
地域の経済はその地域で循環することはなくなり、グローバリズムの輪の一部になってしまった。
そして、見事に「循環して再生するする家族」は消えた。

子供はコストがかかるばかりで、大学出しても帰ってこない(いい仕事がない)し一緒に住むこともない。
介護施設も大量に供給され、子供に世話して貰う必要もない(かえってめんどくさい)。
それならば、いっそ子供などいないほうが良いと考えるは当然である。
社会の中で、共働きをしなければならないような低所得者層にこそ、この傾向は強くなる。



しかし、少子化は「社会の支配層」にとって「問題」がある。「奴隷(従順な労働者)」がいなくなるのである。
多くのサービス業従事者の給料は低い、尊敬もされない(「社会の支配層」のれん中は偉そうで横柄な客ばかりだ)。
単純労働は賃金が低いから誰もつきたがらない。


社会にとっては、経営者や政治家などよりよほど大事な人達である。そういう人たちがいなくなるのだ。
かといって、「社会の支配層」の連中は移民は気に入らない。

そして、社会の流動性が大きくなったら、自分たちの美味しい生活が誰かに奪われる。






小学校の頃から、親の演習での格差は大きなものである。
大学に行けるかどうは大きな関門であるが、最初から諦めなければならない子どもたちは多い。
そして、公務員試験にも受からず仕事についたところで、ローンと家賃に追いかけれれる人生である。



政治家のセンセイや大企業の経営者にとっては「従順な消費者、安い労働力」が必要だ。





アイツラは、これから年金支給年齢を上げて、奴隷の底上げを図ろうといしている。

いい気味である。





前も書いたが、子供を産まないセックスが非生産的だとしたら「閉経後」の女性はセックスしちゃいけないのか?
老人には性欲はあるのは異常なのか?
そもそも一生の家で避妊してのセックスは非生産的なのか?
あんたは「子供の数」しかセックスしたこと無いのか?


セックスはマイクロバイオームが私達を操つっているのだ(笑)。

そうでもなきゃ、あんな所舐めたり出来たもんじゃない(笑)。




私達は生きている限り、否応なく他の生命と交わり合いたいというパッションをもつ。
それは恥ずかしいことでも異常なことでもない。
他人には、分からない渇望なのだ。
そしてそのパッションこそが、一人一人の価値なのだ。


コミュニティはセックスを通じた感染症を防衛するために「宗教・家族(=不倫と結婚)」と言った制度を作った。
しかし、マイクロバイオームはそんな事知っちゃことじゃない。
いつでもどこでも、誰とでも「やっちまいたい」のである。そして、生物というコロニーを操る。
犬は来客をメスと間違えてマウンティングするわけではない。

この「制度をかいくぐろうとする生命の営み」は多くの悲劇を生んできたし、これからも生むだろう。
坂口安吾が看破したように、その悲劇こそが私達の「ふるさと」なのだ。



誰かに強制されて、生きることは出来ない。
私達の主人は「森羅万象に潜む神々」なのだ。



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グローバリズムは、地域の自営業を潰す。本来「利益」というものは生産手段を所有している者(経営者)に蓄積される。しかし、グローバリズムが低価格の商品の提供を行い、その地域での販売が不可能になると、地域の自営業者は廃業することになる。そして、同じ労働をグローバル会社での時間給で働くことになる。そうすると、時間分の給料はもらえるが、生産物を売った金額との差分が経営者のものになる。つまり地域の中小企業に広く分配されていた利益が、みなペゾス様のものになるのだ(笑)。「勝ち組」「負け組」と自嘲したところで、理不尽さは納得いかない。多くの文明はこのプロセスの後に崩壊したのかも知れない。世界でテロが止むことはない。

もっと、希望を持てる社会になると良いな。