欲望についての物語 ( 1 ) セックスは何のためにあるのか、結婚以外の性行為を禁じる風習の起源と進化

『あなたとHする夢見た」無数のセクハラ、介護現場の闇』2018年7月8日12時38分
このweb朝日の記事は面白い。


何が面白いかと言うと、「介護を受ける人間には性欲がない」と言う公式見解(ポリティカリーコレクトな人間観)と実際の乖離が如実に現れているからだ。

これに類するものに、「医者は患者を性的な対象としてみない」「教師は教室(生徒に)欲情しない」「刑務官は囚人とセックスしない」「大学教授は生徒に性的な交渉を迫らない」「親は子供にセックスをしたいと感じない」「結婚するまでアイドルはセックスしない」ああ、キリがない。



いずれも、コミュニティに感染症を持ち込ませないための行動規範である
そしてそれを破ったものは(異常であるか犯罪者であるから)厳しい処罰(または治療)を受ける。

それは当然である、コミュニティを危機に陥れたのであるから。






しかし、問題はそこではない。
『のべつまくなし』にセックスを望むのは何故かということである。

やっぱ、マイクロバイオームに操られているよな。

一言で言えば、身体と言うコロニーに「共生しているマイクロな生命」が外部のコロニーに行きたいと望んでセックスという粘膜の接触を通じた移住を図るのである。

子供を作るために数千回の無駄な射精をしているわけではない。

その関係(私細胞とマイクロバイオームと言う生命)は共生関係よ言うよりも運転関係と言えるかもしれない。

利己的な遺伝子』と言う考え方は、ある面の真理でしか無い。利己的なマイクロバイオームの遺伝子が、私を操っているのだ。





で、結論は何かと言うと、『白旗を上げること』なのだ。
みんな同じ人間なのだからパートナーに先立たれた苦痛は分かる事を明確に知らせ、共に悲しむことである。
セックスカウンセラーが行うように、先立たれた性のパートナーとの思い出を聞き、共に懐かしむことである。

否応なく現実となる喪失は辛い。肉体は衰え、パートナーも、かつての友人や不倫相手、みなここにはいない。

若い頃は性の喜びを感じ、子供を育てながら、時に理不尽な劇場に駆られることもあっただろう。
もしかしたら今もそうかもしれない。
これこそが、ナラティブな癒やしである。

しかし、すべてのものはもう過ぎ去ったのだ。



諦めない人は大好きである。しかし、セクハラはいけない。自分がひどい目にあうだけだ。
食べ物に薬混ぜられて、木偶の坊になったまま、年金ATMにならなきゃならない。
本人はもう何も感じなくなっているのだから、それは本人の問題ではない。
介護する職員の心を削る。やがて周りの人間を壊していく。






手に入らぬものを夢見るのは正常だ。
セックスをする夢を見るのは問題ない。
そして夢を現実にしたいと思う心も大事なのだ。

問題は、その後である。
セックスした後で何億もの資産を分け与えるならば応じる人もいるだろう。
最近話題になった億万長者の話や、年取ったセレブが若い結婚相手を見つけることは別に稀ではない。




そしてもっと問題は、性的な関係が実現したところで、奥深き渇望は消えはしないということである(多分)。
人は死の恐怖から浮気する(フランスの諺....だったか映画のセリフ)









介護の問題を考えると、いつも感じる。
同じ人間として渇望に苦しんでいるその人に何が出来るのか考えることが重要だ。
その心が、癒やしを生み、共に生きることに繋がる。








僕は30年後にどんな夢を見ているだろう?


あなたとHする夢見た」無数のセクハラ、介護現場の闇
2018年7月8日12時38分


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 利用者やその家族と1対1になることも多い介護現場。セクハラや暴力のリスクにさらされ、被害は後を絶たない。

 「おっぱい触っていい?」「あなたとHする夢見たよ」――。東京都江戸川区の居宅介護支援事業所「介護屋みらい」のケアマネジャーの女性(41)は、利用者やその家族から、性的な発言をされたり、体を触られたりと、数え切れないほどのセクハラを受けた。

 笑って流したり、厳しく「仕事で来ています」と主張したり、いつしか相手に合わせて対応するようになっている。「そういう人であっても、サービスを提供できるようにするのが仕事の一つ」と考えるようにしている。「訴えても個人の問題にされてしまう」という諦めの気持ちもある。

 介護職員らの労働組合「日本介護クラフトユニオン」の調査では、介護現場で働く人のうち3割が、利用者やその家族からのセクハラ被害を訴えている。

 被害に遭った人のうち、約2割は誰にも相談していない。相談しなかった人は「介護職は我慢するのが当然という風潮。力量不足と考えられてしまう」「プロの介護職はその程度のことは受け流すべき、と言われる」(自由記述)。問題の根深さをうかがわせる。

 セクハラだけでは…


この映画秀逸であった。人生のパートナーに先立たれた時、人はどうなるんだろうかなあ〜
そもそも、「おひとりさま」と言う選択もあるしなあ。

本来、「家族」というコミュニティが癒やしていたものであろうに。
そして家族とはセキュアな欲望の解消のコミュニティであり、老後の保証であった。


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