r人生痩せたり太ったり(仮題)」のコンセプト(12)満腹中枢と言う名の「白衣(権威)の欺瞞」 「心」が食べる

満腹中枢がおかしいのか、満腹になっても食べるををやめられないのがおかしいのか長く悩んできた。

どちらにしても、自分がおかしいことに変わりはない。
だって他の人は太っていないのだから、おかしいのはお前だといわれても何も言えない。
まさに、成績の悪い子を叱るロジックである。そして僕は成績が悪かった。


長く自分を責めていた。

しかし、いろいろ考えていくうちに、「人の体の仕組みを研究している研究者や医者の方」こそおかしいと気がついてきた。
人体の代謝系という複雑な体系に対して、余りに単純な因果関係で説明しようとしている。


「脳の一部が興奮したり、特殊なホルモンを発したりすること」が原因で「脳の何処かに鎮座する『心』を操っているのだ」と思いこんでいるのはおかしいと僕は思う。

解剖学はこころを見つけ出していない。




満足はどこに生じるのだ?

満腹中枢を「神様が間違えて作った」などというバカが居るが、満腹中枢は単なる信号の通過点にしか過ぎない。
拒食症や過食症を直せもしないで何が医学だ。
結局は「心」という物理的に見つけられない何かを理解しなければならないのだ。




『心とは何であるのか?』と言う疑問に少し答えが見えてきた。
小さな生命から見た時に、あらゆる生命活動は全く違って見えてくる。
このことを「ウイルスは生きている」の中で中屋敷均さんは「擬人化」が生命を見る目を曇らせているとお書きになっている。
そのとおりだ、「自己」と「他者」と平気で僕らは使うが、標的を破壊する白血球にとっては、関係のない話だ。
昨今の自己免疫疾患はまさに、『自己と他者』と言う区別が産んだ弊害である(注1)。

2017年のはじめに読んでびっくらこいた。
そして、マイクロバイオームをしって、様々な生命が共生するミクロな生命に操られていることを知った。



最近、帯状庖疹で随分「痛い思い」をした。
その後痒みが止まらないのである。はっきりとわかる色に皮膚が変色して、何とも痛々しいのである。
そして、水疱瘡のウイルスにしてみたら、僕の身体は居心地のいい住処だったのだろうなと思った。



腸内にいる沢山の細菌の研究も本格的に進見出してまだ掃除感は経っていない。
しかし、多くのメッセージをコロニーに発していることははっきりしている。


なぜ、不倫をしたら破滅的なな結末になるということを知りながらやめられないのだろうか?
精子卵子は遺伝子を半分しか持たないと言う意味で、細菌の類縁である。
その細菌の類縁が意識をコントロールしているのだ。


免疫が「自己」を守り、「他者」を破壊するというのは実に都合のいい話である。
アレルギーなどの自己免疫疾患を免疫の暴走と考えるのは勝手だが、擬人化に過ぎるとしか思えない。
そもそも「自己と他者」などという区別は「排他主義的」で何も解決に結びつかない。
ミトコンドリアさえもかつては他者でありながら、細胞内で大きな働きをしている。
独自のDNAも持つ(ミトコンドリア卵子に由来する、精子ミトコンドリアを持たないウイルスの仲間である)。
そして、「卵子精子」に起因する遺伝子を持つ細胞たちが骨格となっているコロニーの中に共生している。
相互に重要な役割を果たし、助け合っているのだ。

その環境の中での「経験」を積んだコロニーは小さな生命たちにとっては最高の「穴蔵」である。
出来るだけ多く栽培したいはずである。

あたかも、米を栽培することで人が繁栄したのか、米が人を操っているのかわからないと同じである。

挿し木や接ぎ木で増えたソメイヨシノは皆同じ遺伝子だという。
セックスさえも他の種に依存するというのは何を意味性ているのあろうか?
既にヒトはさくらの一部分のだろうか?



生命に対しての見方は、大きな転換を迫られている。







1)「身体を操縦」してはいない
  単なる、身体という「微小生命のコロニー」の管理者でしかない。

2)神経の刺激を統合開いている「脳」に存在するものではない
  脳には心の場所はない。

では心はどこにあるのだ?






ニック・レーンさんは外せない

ミトコンドリアが進化を決めた

ミトコンドリアが進化を決めた

生命、エネルギー、進化

生命、エネルギー、進化


中屋敷均さんはすごく好きだ


エピジェネテックスの研究はすごく面白い。沢山あるが、この本が好きだなあ。

双子の遺伝子――「エピジェネティクス」が2人の運命を分ける

双子の遺伝子――「エピジェネティクス」が2人の運命を分ける


小さい生命がいかにホスト=コロニーを運転しているか良く分かる。

奇妙な菌類 ミクロ世界の生存戦略 (NHK出版新書)

奇妙な菌類 ミクロ世界の生存戦略 (NHK出版新書)

わたしたちの体は寄生虫を欲している (ポピュラーサイエンス)

わたしたちの体は寄生虫を欲している (ポピュラーサイエンス)



科学は現実を説明して、改善する事が目的である。

生活習慣病にかかる奴らはおかしいとはもう言えない所まで、この病気の脅威は蔓延している。
そして、研究者も医師も無力である。

再生治療にしても、壊れた部品の交換以上のものではない。
つまり、原因を読み間違えているから対策も効果のないものになるのだ。

そもそも生活習慣病という名前自身が医師には直せないということを表している。




この項書きかけである。


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注1 : 昨今の自己免疫疾患はまさに、『自己と他者』と言う区別が産んだ弊害である。
「格差」「勝ち組・負け組」と言うような言葉はまさに「自己-他者問題」のさいたるものである。
小さい頃から勉強して他の子を蹴落としなさいと育った子供は、他者を踏みにじることを当たり前と思う。
そのためには他人の心を感じてはならない。

サイコパスは当たり前の帰結である。
給料が安いのは劣った人間の証明なのだから、自業自得だ。
余り幸せなことではないと思う。

しかし、翻って見れえば、これってアタリマエのことだよね。
今に始まったおとではない。
しかし、これだけの格差と絶望感はちょっと例を見ないとおもう。
文明の崩壊はこういう格差が浸透した時に起こるのではないかなあ。

ISにしても、生んだのは私達の社会自身だ

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