「代謝」という哲学、『「同化・異化」という無知蒙昧』を生む「免疫という傲慢」

「同化・異化」という言葉とは、高校の生物の授業で暗記する項目であった。
生化学を学び始めて、「代謝」という言葉とはかなり早い時期に出会った。
「免疫」というキーワードには悩ませられた。

最近「炎症と免疫」という雑誌があることを知って数冊購入した。読んでみて、何かしっくりこなかったのでその原因を考えた。
多分「擬人化」という言葉を考えてみるといい。






「同化・異化」には、「エネルギーを生み出す働き」と「不要のものを捨てる働き」と考える定義もある。
「同化・異化」という言葉は暗黙の前提として「自分」という枠組みが存在する。
そして、自分にとって不要のものと必要なものと世界を二分している。




最近、「私というコロニー」という言葉を多用する。
この言葉は、「私」を判断や行動の主語として使うことを否定している。
「私」というのは「身体という装置を意識が運転する」と考える思想に基づいている。
それが間違いであるとは思わないが、「私というコロニーの仮説」のほうがより多くの問題を説明できる。

そして、苦しくなくなる。

人生は苦痛の連続である。








「進化」という考え方はいつからあるのだろうか?
神は人を自分の姿に似せて作ったという考え方はずいぶん昔からあるようだ。

高校のころ、今西錦司先生という京都大学の「行動生物学->進化」の研究をしている先生の本を読んだ。
「適応」という概念が「進化」と微妙に対立する概念と知った。








ミトコンドリアが私たちを操っている」とか「植物が炭水化物で私たちを操っている」ということを言う輩は好きでない。

「酸素が生命を操っている」だろうか?

ミトコンドリアは「遊離水素」を利用して(効率的に)「ADP<ー>ATPリサイクル」を行う。その過程で酸素を利用して遊離水素を安定した分子に代謝する。炭水化物(とその代謝物の資質)は「炭素と水素」をミトコンドリアに運ぶコンテナである。

太陽光線がエネルギーの元として地球に降り注ぎ、酸素と二酸化炭素この比率で存在している環境での出来事でしかない。







外来種」という言葉がある。僕の嫌いな言葉のNo1だ。
今の環境は、今の生命にとっての最適な環境である。
その環境を乱すものは「外来種」と呼ばれる。

しかし、外来種利用して、自分の勢力を拡大しようとするのは当たり前だ。

2018-12-19 「宗教なき時代の政治学」(8)何もなくとも「味方半分、敵半分」、なんかありゃみんな敵 『「上沼恵美子」に対しての暴言事件』と呼ばれる現象とその反応








「郷に入ったら郷に従え」という言葉が僕は大嫌いだ。
「分相応」「身の程を知れ」僕がいつも言われている言葉だ。

しかし、自分が変われなくなったら、きっと好きになるだろう。
自分が「郷=既得権益者」に成ったということであろうか。


生命は環境が変わることで、自分の存在の場を見つける。
逆から考えれば、自分が生きやすいように環境を変える。
そして自分が生きにくい環境に「変えようとする存在」を破壊しようとする。









「免疫」は私を守っているわけではない。
免疫細胞は、自分なりに判断をして他の生命を破壊するだけである。
免疫系は「私という意識」があることを知らない。


そもそも「破壊」と免疫は考えたりしない。
「免疫」にとっては単なる当たり前の反応でしかない。
マイクロな生命が他の生命を取り込んで自分自身に代謝する様に「破壊」する。
そして破壊した生命の部品は新たに自分の部品として使う。
「オートファジー」とは、「自分」という概念をまた区違ったものとする。




「自己免疫疾患」って傲慢な言葉だ。
まるで、「免疫系」が間違えて自己を破壊している様に響かせている。
「世界」に「間違い」は存在しない。単に自分という「正解」と違った答えなだけである。



教育とは自分の信じている正解で他人を丸つけする行為である。









ガンは「免疫が見逃した」「私というコロニーの中に存在する小さな生命(細胞)」である。
私というコロニーの中での生態系を考えると面白い。

そもそも、見逃すという言葉がおかしい。

「生命が行っている作為」に「間違い」はない。
DNAの転写ミスという概念は「環境に対する進化や適応」を否定するものである。


まるで外来種を「間違いのように扱う」ようだ。
しかし、僕もそう感じることがあるから事は厄介だ。









「漁夫の利」というのはよくできた言葉だ。
一言で世界を表している。






移民とは、家族の機能のうちの「出産と教育」を外注化(アウトソーシング)しているということである。
移民とはメンタリティの許す範囲での奴隷制度である。
奴隷は必要だが、奴隷も人と考えると「人権」を適用しなければならないから「移民」という概念を適用する。
そして自分の既得権を奪わないと宣誓したした奴隷を市民として扱う。
しかし、市民を養うためのインフラ(コスト)には限りがある。

スラムとは、奴隷(労働力の提供と対価のアンバランス)のプールである。


労働力の提供と対価のアンバランスという意味では「貴族(笑)・地主(笑)・財閥(笑)・高額所得者・役人・経営者・政治家」が頭に浮かぶ。

戦争での勝利は、その国での既得権益層を破壊して勝戦国の既得権益層が奪うことである。

グローバリズムは戦争と同じ効果がある。
「昔戦争、今特許著作権」というのは昔知ってショックを受けた。

2013-03-12 著作権がらまりで、中山信弘教授が最終講義 : mixiから引越し2008年03月04日00:00

2013-04-06 町山智浩さんが特許に関しての映画を紹介しました....... 2009年04月11日01:56(僕はこの男嫌い)






「労働力の提供と対価のアンバランス」という意味では(子供が小さい間の)親子の関係はその最たるものである。
そしてそれは逆転する。

家族が生産の手段だったとき、のことである。
今や、家族は消費の単位でしかない。


2015-01-17 ソーシャルスキル批判(4)デートレイプについて考える授業



「自己と免疫」という概念についてはこのページで、この続きで........。
年末に向けて少し忙しい。






しっかし、専門書って高えなあ(笑)








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