本田靖春さんの事

全く不勉強なことに、本田靖春さんが両足を壊疽で失い、癌で身体を蝕まれてなくなったことを知らなかった。
大学の頃ジャーナリストを志した。

当時は若くて、本多勝一なども好きだったが、そのうちにが本多勝一は不愉快な人間だと知った。

本田靖春さんの本は何冊か読んでいた。
本田靖春さんの著作は「読んでいると辛くなる」ものだった。

やがて、俺の人生はどうころんでも貧乏なままだなと思うようになった。

我、拗ね者として生涯を閉ず

我、拗ね者として生涯を閉ず

今日届いたので読んでみた。

編集後記を読んで、糖尿病を「社会の病と見ていらっしゃらなかった」ことを知った。

糖尿病が社会の病であることを知ったならば、本田靖春さんがどんな作品を残されたかなあと思ってしまった。


「闘病記と貧乏物語が嫌いである」と言う言葉、いい言葉だ。
僕もそのとおりだと思う。

しかし、糖尿病患者は市場経済と社会変化の中で「誰かが儲けている結果」の被害者なのだと考えたら、怒りが湧いてくるであろう。


これも買った。

本田靖春---「戦後」を追い続けたジャーナリスト (文藝別冊)

本田靖春---「戦後」を追い続けたジャーナリスト (文藝別冊)

サイゾー元木昌彦さんのこの記事から知った。
何ともびっくりである。
世の中、まだまだ捨てたもんじゃない。


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僕はNHKプロジェクトXが大嫌い
現実と向き合って、苦しむことこそが生きるということである。

あらゆる生命にとって、生きるということは苦痛の連続なのだ。
そこから目を背けることは出来ない。

僕の家には、糖尿病んに限らず「闘病記」と言う文屋の本が沢山ある。
ガンや精神病の本が多い。


星野史雄さんの著作は好きだ。
糖尿病と向き合い始めてからしばらくの後に出会った本だった。多分2015年の終わりくらいだったと思う。
僕の本も一種のというか、バッチリ闘病記である。

昨今のガンに対しての認識の変化は面白い。


がん闘病記読書案内―病気になった時に読む

がん闘病記読書案内―病気になった時に読む

闘病記専門書店の店主が、がんになって考えたこと

闘病記専門書店の店主が、がんになって考えたこと



昨年は、自分が精神病ではないかと疑い、何度も死のうかと思った。
よく精神病で自殺するヒトの話を聞くが、あれは、「自分が精神病だと思って」自殺しているのではないかと思っている。
しかし、精神病ってなんなんだろうか?


「自分に理解のできない合理性で生きる人」を他人から見たら精神病と見えるのだろう。
他人の行動の合理性を見る訓練はどこでするのだろうか?




本の名前は忘れたが、社会調査で「幻聴を聞いたり悪夢を見たりするのは10〜30%いる」という結果を書いてあった(要確認)。
そして、それだけの人数が体験するということは、「病気」と考えるのではなく「機能」と考えるべきだろ言う。
確かに、他人に見えないものを見ることは才能であろう。

ADHDなどもその観点から見たら、才能である。

ピンカーさんの「暴力の人類史」では、人を殺す夢を見るのは一般的に見ることが出来る事だという。
『犯罪者は実行して、夢で終わる人間を普通の人と呼ぶ』のだ。
テロリストの内面をを考えると複雑な気持ちになる。



暴力の人類史 下

暴力の人類史 下




人は他人に心があるか分かり得ない。
多くの文学や芸術の主題である。


脳には他人に共感する機能があるという。
どう見ても、その機能がない人間がいように見える。
冷たくて、残酷で、他人を踏みにじって平気な人間である。
サイコパスと呼ばれる。
人と人はどこまで繋がり合えるのだろうか?
考えれば考えるほど憂鬱になる。

昨今のジャーナリズムが好まれない理由は社会全体がサイコパス的な状況になっているからではないだろうか?





「他人を想像する力」というのは訓練して初めて身につくものだと思う。
家庭は、他人を想像する訓練の場だったのだ。

父と食事をするといつも思う。
老いていく自分と向き合って行くことは苦痛である。
自分というのは関係性の中に存在するのだから、自分を知る人間がいなくなっていくことの孤独は計り知れない。

しかし、家族は自分の記憶の中に残る。
母に教えられた。

感謝している。

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