糖尿病の闇(1) 1型と2型、『昔贅沢病、今貧乏病』、忙しい人こそかかる病気

こないだ、糖尿病の体験記を読んでいたら、1型の患者の人が、「2型に間違えられて困る」と発言していた。

そうなのである、糖尿病2型は「意地汚い」「腹八分目を知らない」「豚の様な」人間のかかる病気だと思われている。

体のことも考えられない、愚かな、馬鹿の「自業自得」と思われるのである。


「おれはそんな病気じゃない、(お前は意志が弱いから糖尿になったんだ)」とか、「酒の席にお前がいると酒がまずくなる」とか何度も言われたことがある。

こないだなどは、おみやげに「糖尿病患者でも食える饅頭」だと言って僕に渡した馬鹿がいた。
なぜわざわざそんなこと言うのだろうか。
いまどき饅頭喜んで食うか?

そういう奴は、心のなかに、「おちゃらけの幼児性」があるのだ。
「体が不自由な人の真似したりする」愚かな幼児性である。サイコパスとも言える。






僕は糖尿病は「炭水化物のアレルギー」だと考えている。

僕(糖尿病患者の)の体は、食事から炭水化物が入ってくると適切に処理できなくなる。


例えば、小麦アレルギーの子どもの前で、「あーフランスパンは旨えよなあ」などというだろうか。
『花粉症(やアトピー)なんて、変な物食っているからなるんだ』とか無知が言わせていると思わないとやってられない。


僕が、糖質制限を始めた頃、息子が、僕の目の前で『ああ、白米は旨い』と大声で話したことが有る。
後日、たしなめること無く糖尿病のことを話した。
どんな病気であるかということ、小さいころの体験、命をかけて糖質制限に取り組んでいること。
そうしたら、海苔ピザを作ってくれた。
山形遠征のおみやげに漬物を買ってきてくれて、「これったオット食べれるかなあ」とおそるおそる差し出してくれた。

彼は、素晴らしい体験をしたのだ。学ぶことで共感して、自分を相手に重ねていたわることが出来るようになったのだ。
メタノイア」である。

そして僕はこのことを思い出すと、涙が止まらない。


ブドウ糖に脳は過敏に反応する(報酬物質を分泌する)ために、私達は中毒状態となる。



僕は、若いころ月200時間の残業をした。
大体、土日は普通の出勤をして、連日11時位までいて、週2日位徹夜するとこうなんるのである。
当然食い物は牛丼と対食い蕎麦(+カレー)である。
たしかに愚かだったが、その頃の人生を否定する気にはならない。
意地汚い馬鹿の自業自得なのだろうが、あの頃の人生のおかげで今の僕はある。




「フード・インク」と言う映画の中で、貧しい労働者が「子供たちにブロッコリーを食べさせたい」と嘆く姿が写されている。
彼はファーストフードを作る会社で働くが、彼と家族がが食べることが出来るのは自分の作っているハンバーガーばかりなのである。そして糖尿病の治療にカネがかかるのである。

医者や、経営者はこの凄まじい連鎖から利益を得ているのである。



昔は贅沢病だったかもしれないが、今は貧乏人がかかるのである。
ジムに行く金も時間もなく、最低の賃金で、コンビニの安いパンで昼飯を済ます。

そんな人達がかかるのである。

そんな人生が、病の元になるのだ。

糖尿病は、個人の不摂生の問題ではなく、社会の問題となる。
病をつくるような食べ物を市場に送り出して利益を得る企業、その病に対しての投薬で儲かる医師、当然その薬を作る企業、認可する政府&大学の複合体。

しかし、皆、患者である市民が問題である。


糖尿病になった医師は、「糖質制限」をして 決してインシュリンは使わない。歯医者は自分にインプラントをしない。
これは笑い話ではない。

他人ごととなると徹底的に残酷になるのが人間である。
特に経済が絡むとそうなりがちである。

無論、そうでない医師もいるが、善良な泥棒くらい数は少ない。





肥満は原因ではなく、糖尿病の結果なのだ。
おれは太っているけど、暴飲暴食しているけど、大丈夫などというのは愚かなことである。


高いビルから落ちて行く男がつぶやいた声を7階の部屋の中にいた男が聞いた。
『もう半分以上落らたが、なんともないぞ』

人はいずれ、地面に到着する。生きるということは「死に至る病」の患者であると言う事であるのだ。

糖尿病は老化が早く来る病である。
最後の10年が辛い。



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