1月5日は母の一周忌であった。

いつもと同じ一日だった。

心は全く落ち着かない。





夕食を終えて帰る父である。

左手には11時位に一回起きて一杯やるのだが、その時に食べるおかずである。
行けないとは思うのだが、あんこのお菓子食べながら酒飲むよりもよほど良い。

肩のタオルは夏は汗拭きになり、冬はマフラーになる万能の物である。





父が元気なうちは、悪夢に出てくる3人に落とし前は付けないかもしれない。
しかし、いつか父とも、別れる日が来る。

父が最後まで元気に、心を自由に生きてもらうことが母への罪滅ぼしである。






もう和解する気はないので、この一年に起こったことを書いていきたい。
目的は何かというと、「精神病医療の考察」である。

人を殺す夢を見る。何度も見る。今年の初夢は殺人犯になる夢である。とんでもないことだ。


突然暴力の衝動に駆られる。
明らかに理性では制御できない衝動に囚われる。
他人からは理解できないことである。
人は理解できない存在を受け入れることが出来ない。
受け入れるために僕は「精神病」と呼ばれるかもしれない。






クソ野郎は母を殺した。
直接ではないが、殺した。当然本人は否定するだろう。

それを止められなかったのは皆私が悪い。
母の最後の会話思い出すと苦しい。涙がでる。

もう亡くなったのだから忘れるべきだと思う。葬儀の時にすっかり忘れることにして、糞野郎どもとも和解した、
しかし、糞野郎の一人に、初七日の前日、母が応援してくれた僕の会社を潰せと恫喝された。

そのお陰で、糞野郎どもが父を施設に入れて、土地を売り払おうとしていることがわかった。


父は、800〜1000万円相当の土地の名義者である。
それを第三者に遺贈するという。
俺は守る。

しかし、糞野郎どもにはそれが気に入らないようだった。
当たり前だ、自分のものになる金を誰かに渡すなどというのは気が狂ったとしか言いようがない。




2015年は母の死で始まった。
多くのことに気がつくことになる一年のスタートであった。




昨今は精神病が大流行である。
統合失調症と医師はいい薬を出すだろう。しかし、その薬は僕の一部を殺すのだ。
そう言えば、精神病患者は責任を問われないのだったなあ。
一般論ですよ(笑)。

初笑いである。

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