イミテーションゲームを見て思う。ゲイのホルモン治療とII型糖尿病へのホルモン治療

イミテーションゲームという映画はアラン・チューリングという科学者がコンピュータの元を発明した時の話である。


ゲイは病気だから、刑務所に入るか、ホルモン治療受けるかしろと、言う事になり、自殺するのである。
殺すのは野蛮だから治療するというのは興味深い。

ジョック・ヤングの過剰包摂を思い出す。

ADHDの生徒に精神病の薬を与えたり、「うつ病」に薬を飲ませたりね。
今の社会は自分と違うものを恐れる社会だからそうなっていくのである。






母は、なくなる数年前から何度も内科医に分量を越えた安定剤を処方されていた。
無論は母が、医師にせがんだのである。
結局は、現実に辛く苦しいことが有ったから、せがんだのである。

僕は、あの時に母を助けられなかったことが今でも苦しい。




精神病院の看護婦が主人公の漫画を読んだ。
いい漫画であった。うつは、現実に向き合った時の心の反応なのだ。

抗うつ剤は心を壊す。
母は、明らかに安定剤でおかしくなっていた。
自分以外の人間の言葉をとにかく否定するのだある。
そして権威(医師)に対しては実に従順であった。

僕と母は一緒に自分の人生に向き合った。
僕は「糖尿病」と、母は「老い」と向き合ったのだ。
もう元には戻らない。
このまま生きる他無い、他の誰かとは違った人生を生きる他無い。そんなふうに思えたのだ。


亡くなる半年くらい前に母は安定剤を止めて、僕は失明の危機が少しだけ遠のいたことを知った。
お互い苦労がい多いねと言いながら、二人で池を眺めていた



母は、元に戻れないことを納得していたし、僕は炭水化物を一生分食ってしまったんだと諦めていた。
人と違っていても気にしないことにした。







なぜ「病」や「老い」はあるのかという問いかけは面白い。

逃れたいと思うのは当然である。
不老不死を望むのは当たり前である。


僕は、宗教の意味が分かってきた様な気がする。





社会が、ある状態の人間を異端として追い詰める構造は、「糖尿病患者」を追い詰める構造にそっくりである。
「お前みたいは糖尿野郎は黙ってインスリン打ってりゃいいんだ」といわれたことがある。
全く憂鬱にある。



炭水化物を私達の身体は求める。
また、炭水化物は猛烈なエネルギーを持ち、文明を生んだ。
同時に、コミュニティ(文明を産んだ制度=政治)は強く個人を統率して農業に労働力を集中させなければならなかった。


食事は生活と文化の一部分だから、破壊されることには抵抗する。

戦後、日本の子どもたちにパン屋牛乳を食べさせたアメリカの占領軍の政策は考えてみると面白い。
文化の破壊が、市場経済への取り込みとなり、占領が終わった後も市場に炭水化物が流れ込むことで、奴隷の社会ができる。
従順な消費者こそが、利益を生む。

石塚左玄さんという人について書いてあった本を読んだことがある。

まさに面白いものだった。


糖尿病は社会の問題であり、文化の戦争の問題である。
インスリンなしでも食事を作ることで生きることができる。

しかし、違った食事を食べる人間は『異端』なのである。

昔、マスコミは、輸血を拒否した宗教家を人殺し扱いしたよなあ。
その後、輸血でエイズが蔓延した事を考えると、意味が深い。

医療に対しての拒否は、最低限の自由である。


しかし、私たちは自分の理解できないものが怖い。
僕はまんじゅうが怖い。
旨いことを知っているから、血糖値が300を超えるだろうから、怖い。

仕事の次に怖い。

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