幸運な病のレシピ(33)『炭水化物がいらない食卓』の作りかた。満腹が満足を生むわけではない。炭水化物という嗜好品から抜け出すために。

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『炭水化物がいらない食卓』と言うのは、「がまん」しないで嗜好品である炭水化物を食べないことが出来る生活のことである。


「炭水化物」を悪者と考えるのは止めたほうが良い。
炭水化物は、「甘い」という事を忘れてはいけない。
つまり、生物の身体は「炭水化物」に引き寄せられるのである。
花に引き寄せられる生命は「受粉=植物のセックス」を手伝い、身を食べる鳥や獣は種を蒔く。
炭水化物は生命を操り、生命が地に満ちるための大事なからくりなのだ。



では何が問題なのだろうか?


炭水化物には抗えない魅力がある。
長く私達の社会では「甘味=炭水化物」は報酬であった。社会的強者の食事だったのである。
しかし、農耕におけるグロバールなテクノロジーは状況を一変させた。
その魅力を使い金儲けをする人々がいる。そして、今や「甘味=炭水化物」は「依存性のある商品」となったのである。

同時に食事を作り、依存品を遠ざける「家庭・宗教」といったコミュニティは失われた(私達は大喜びで破壊した)





ある程度次分限で来てきたと思っている。無論、今いる場所が正しいとは思っていない。
今でも僕は苦しんでいるし、多くの同じ苦しみや不安の中にいる人達を助ける(共に解決を見出す)ことは出来ない。
けど、一緒に考えることで少しでも正解に近づける気がする。


僕がここに至った生活の推移を振り返り、沢山の言説に込められている「勘違い・欺瞞・慢心」を考えてみたい。
多くの言説を批判的に見ていくことで、僕自身の立場が明確になっていく。



生きるというのは満足するためである(人生我慢大会説批判)。
必要か不要かで判断はできない(生命機能主義批判)。
医者や偉い研究者だって生活習慣病になるし、かならず死ぬ()
白衣を着ているヒトの言葉が正しいわけではない(権威主義批判)。

私たちは年老いていく(ブドウ糖老化原因批判)。




炭水化物は嗜好品である(炭水化物必須栄養批判)。
農耕に基盤をおいたヒトの身体と社会は炭水化物を中心に出来ている(人類を滅ぼす敵批判)。
生命にとって炭水化物は必須である(ケトン説批判)。


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