治療でも諦めでもない「寛解」と言う状態。
医療というのは、何を目指すのか?
治療というのはいつ始まり、いつ終わるのだろうか?
以前は必死に血糖値を測り、毎月A1cを検査して眼底の写真を取りに行っていた。
ここ数ヶ月、行かないことが不安でなくなった。
とは言っても、A1cの自己測定キットを使っている。
手軽でいいものだ。
先日6.8%だった(笑)。
今の食事はベストなんだろうなと思っている、
今のところこれ以上A1cをいい数字にしようとしても、それは、意味が無いと感じ始めている。
特に、現在大量に作られ売られている「医薬品」の事を勉強すればするほど、感じ始めている。
病を恐れることはない。
死を恐れることはない。
人生とはそういうものだ。
「寛解」と言う言葉を始めて聞いたのはそんなに昔のことではない。
しかし、どのほんとうの意味を知ったのは、2015年の母との1年だった。
確かに、「寛解」と言う言葉を医学の関係書の中でちらっと見たことはあった。
母は、あれほど何個も入れ歯を作り、補聴器に文句をつけていたのに、亡くなる半年くらい前から何も言わなくなった。
医者自慢の馬鹿な親戚が白内障の手術を受けて目がよく見えるようになったと「そそのかされ」て、白内障の手術を受けるが思ったように目が見えるようにならなかった。
あれほど何度も止めるように言ったのに、あの馬鹿の言うことを真に受けたのである。
いまだだに腹が立って眠れなくなる。
幼いころ、病気とはどんなものか知らないで、自分の身体に不満なく生きていた時代に戻れたのである。
いつも、「あたわり」という言葉を話してくれた。
「あたわり」を知ることこそが寛解の意味だ。
2017年6月20日に健康診断を受けた。
生命保険についてきている「医療特約」の見直しのためである。
僕の身体はもう戻らない。
インスリンを注射しながら毎日炭水化物どっさりの生活を送ろうとは思っていない。
一生分の炭水化物は食べたのだと諦めることが出来るようになってきた。
糖尿病でも「食えるまんじゅう」のパンフレットを僕に見せたバカが居る。
薬を飲めば病気は治ると思いこんでいる無知な輩と思えば腹も立たない。
問診の時に、僕の体験は伝えたのだ。
まあ、ハグしてチュ〜してもらいたいとは言わないが、「頑張ったですね」程度は言ってもらいたい->冗談ですよ(笑)。
しかし、このコメントは必要ないだろう。
しかし、この備考欄を見たときは、憂鬱になった。
確かに、薬やインスリン無しで、食事だけでA1cが半年で12.3->6.5になったなどというのは「商売の敵」だからなあ。
考えてみれば、医者には理解できないだろう。
病人に薬売ることが商売だからなあ。
しかし、すべての人間はこの道を通るのである。
このことに気がついた僕は幸運である(こればっかだ)。
当然、新しい保険会社の「医療特約」には入れなかった。
でかいクリニックだったので、期待はしていなかったが、最低である。
8,000円は溝に捨てたと思えばいいが、それ以上に憂鬱になった。
以前にも新潟の糖尿病専門内科に行って同じことを感じた。
あの医者もこの医者も、やがて80歳になって膵臓が弱って、血糖値が落ちなくなって、インスリン打ち出して、やがて認知症になって打つこともままならなくなって、その後どうなるのかねえ。
食事を年(身体)相応にしたらいいだけなのになあ。
そしてそれが難しい。
次の本の主題である。
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