松居一代さんに関する社会の反応を考える (3) 松居一代と栄一郎の結婚に猛反対 船越パパは正しかった』訳がない

松居一代さん関係の記事はこちら

日刊ゲンダイの記事(注1)である。


この記事は松居一代さんバッシングの「ステージ2」に関しての論文である(笑)。

権威を信じない個人はステージ2で攻撃されると言うのがこの記事の主題である。





まず、『誰が攻撃する」かと言う問題である。
これはあらゆる所で、あらゆる人間が攻撃する。
それだけではない、嫌がらせも多い。
暴走と言われだす。
さっきまで味方のような顔をしていた連中が一気に掌を返す。



そして味方もいる。これは忘れないで欲しい。『何もしなくても、世の中味方半分敵半分』である(注2)。





コミュニティを構成する「分子」は申し合わせなくとも、単に自分の得になるように振る舞うだけである。
しかしその振る舞いはある存在に対しては「敵」だったり「味方」だったりする。

身体(と言うコロニー)に生きるな数知れぬ細胞やバクテリア、ウイルスが生きるために代謝する様に、全体など考えてはいない。

僕も経験がある鉄工所の労働組合の委員長の時代の事である。
田舎の鉄工所の組合などと言ったら、まさに御用組合を額に入れたようなものである。そこでの労働争議のことは一生忘れない。





ステージ1は何かの問題に抗議する事で起こる。


多くの人の共感を得ることが多い。
この場合は「夫の不倫」である。先の記事に書いたとおり、「誰もがしたいが、公的には禁止されている行為」である。
ステージ1は行為に対する物である。

そして、ここで対処を誤ると問題は拡大する。
つまり、適切な謝罪を行わなければ、関係は悪化するのである。
人は変化する。関係も変り続ける。
変り続ける関係に対応した自分でなければ、問題は起こる。

浮気・不倫はどちらが悪いと断ずることはできない(注3)。
妻とのセックスで満足できなくなるから起こると思えば、夫だけが悪いわけではない。
しかし『朝夕の食事はうまからずとも誉めて食うべし』と言うのがステージ1の基本である。

事件に対しての「謝罪」が必須であるが、「ごめん」と言って同じことを繰り返すと怒りがたまり、ステージ2に入っていく。








ステージ2は特定の事件に対しての怒りではない。


つまり、「形を変えながら何度も繰り返して起こる事件」そして、「謝罪はするが、ケロッとして同じことを繰り返す態度」から、人間性が見えてくるのである。

他人が馬鹿に見えるから、適当に口先だけで言い訳をする。
謝罪したのだからいいのだと、同じことを繰り返す。
妻に性的な魅力がなくなったから他のメスとセックスをするのだと自分の行為を相手のせいにする(あるある)。

僕は、夫側が「現実に向き合わないで、ダダをこねている」だけとしか見えない。
キチンと、問題を共有して互いに変り、新しい関係を築かなければならないのに、それができないのである。




それができないと、人格攻撃が始まる。
一つ一つの卑怯な振る舞いに対しての怒りである。
バイアグラ野郎」とか「金髪豚野郎」と言う表現になる。事実ではあるが、余り褒められた攻撃方法ではない。
もう少し多くの人に共感されるような表現の方がいいとは思うが、難しい。


泰葉さんの場合は、夫が結婚によって利益(落語界での地位)を受けていながら卑怯な振る舞いを続けるから、破滅させたいと思う。
松居一代さんさんの場合は、明らかに夫のほうが甲斐性なし(稼ぎが悪い)である。
サンドラ・ブロックさんの離婚劇などもこの類型に入る(あれは凄かった)。

夫婦というコミュニテイで、利益を受けながら、自分は何も負担しない。
これでは、破綻する。










このステージに入ると、どんな謝罪も効果がない。
なにせ、謝罪して変わったことを証明するには、それから長い時間同じことを繰り返さない以外に道は無いからである。
しかし、相手が破滅したらその必要もない。
論理的な終わりである。






そして、ステージ2に突入すると、社会の受け止め方は変わってくる。
自分にも身に覚えがあるのである。
「まあ、適当に謝っておけばいいんだ」、「謝罪しているのに受け入れないお前はおかしい(注4)」そう思うのは別に変ではない。




こういう連中は「他人に対する共感力の欠如」である。
そして自分が変わることのできないプライドの高さである。
サイコパスといわれる人間である。
「自分が変わらなければ世界は変わらない」とアドラーは言う。







芸能界に限らず、「仮面夫婦」といわれる関係が取り沙汰される。
互いに会話がない、相互不倫をしても文句を言わない。
互いにサイコパスだとまあ、似た者夫婦でいいけどね。


しかし、そういう関係になれない人もいる。
自分の人生を愛している人である。





熟年離婚」と言うのは、妻が夫に苦しめられながら、我慢してきて、離婚するパターンである。
妻の稼ぎが少ないからこういうパターンになる。

多分、男はステージ2に入った時に攻撃側に回るだろうが、熟年離婚を考えているようなサイレントマジョリティはココロの中で快哉を叫んでいるだろう。

僕も快哉側である。



頑張れ、自分を信じる人達よ!











松居一代さんの子供さんがアトピーになった時の本がとどいたので読んだ。
ステロイドをつけてりゃいいんだ」と言う医療常識を受け入れることなく漢方にその道を見つけたドキュメントである。
子供の苦しみをなんとかしたいと現実に向き合う姿は素晴らしい。
読んでいるうちに泣けた。自分の体験と重なった。母との最後の一年を思い出した。
誰が何と言おうとも、僕は松居一代さんが好きだ。

アトピーがくれた生きる力―希望が湧いてくる本

アトピーがくれた生きる力―希望が湧いてくる本




願わくば、彼女たちの人生が寛解に至ることを。
とはいっても、僕もまだ現実と向き合っている真っ最中である。









注1 : 日刊ゲンダイの記事

この日刊紙は結構好きなのだが、読者層が『子供との確執で苦しんでいる』年代の人が多いなのだろうなあ。
『メディアは読者の望んでいる記事を見つけ出す』のである。


松居一代と栄一郎の結婚に猛反対 船越パパは正しかった
2017年7月16日
 亀の甲より年の功とはよく言ったもの。年長者の経験や知恵は尊いという例えだが、老いたる馬は道を忘れずという別の言い方もある。ひとり息子の船越英一郎(56)と松居一代(60)との結婚を当初から反対していた船越英二さん(2007年に84歳で死去)は、結果的に見ると正しい判断をしていたことになる。

 父の船越英二さんは、01年に行われた2人の披露宴も欠席。バツイチ・子連れ(当時=小6の息子)の松居を気に入らなかったからとされ、結局、鬼籍に入るまで一度も嫁と会うことはなかったという。まさしく偏屈な老人で、当時はマスコミにも「女性に対する偏見・差別だ」と批判された。騏麟も老いては駑馬に劣るというわけである。

「ただ、昔から亀の甲より年の功と言われることにも意味はあります。人間は体験の中でしか判断を学べません。その点、親は子より確実に経験があり、しかも子を思う深い愛情がある。頭ごなしはいけませんが、父親が『若い娘は夜遅くまで出歩いてはいけない』『とりあえず大学は出ておけ』と言うのも、その一つ一つに先人としての深謀遠慮があります」(国士舘大学講師でビジネス能力開発研究所代表の安重千代子氏)
松居一代と栄一郎の結婚に猛反対 船越パパは正しかった

 亀の甲より年の功とはよく言ったもの。年長者の経験や知恵は尊いという例えだが、老いたる馬は道を忘れずという別の言い方もある。ひとり息子の船越英一郎(56)と松居一代(60)との結婚を当初から反対していた船越英二さん(2007年に84歳で死去)は、結果的に見ると正しい判断をしていたことになる。

 父の船越英二さんは、01年に行われた2人の披露宴も欠席。バツイチ・子連れ(当時=小6の息子)の松居を気に入らなかったからとされ、結局、鬼籍に入るまで一度も嫁と会うことはなかったという。まさしく偏屈な老人で、当時はマスコミにも「女性に対する偏見・差別だ」と批判された。騏麟も老いては駑馬に劣るというわけである。

「ただ、昔から亀の甲より年の功と言われることにも意味はあります。人間は体験の中でしか判断を学べません。その点、親は子より確実に経験があり、しかも子を思う深い愛情がある。頭ごなしはいけませんが、父親が『若い娘は夜遅くまで出歩いてはいけない』『とりあえず大学は出ておけ』と言うのも、その一つ一つに先人としての深謀遠慮があります」(国士舘大学講師でビジネス能力開発研究所代表の安重千代子氏)









注2 : 『何もしなくても、世の中味方半分敵半分』

会社が倒産した時、委員長去った僕は真っ先に仕事がなくなった。
当然会社にいかなくなる。7月の事だった。当時、妻と僕と生まれたばかりの娘は社宅に住んでいた。
経営者からは本社の社員並みに來年3月いっぱいまで住んでいいと口頭で言われていた。
そのことは、殆どの入居者が経営側だったので、労働争議の条件にはしなかった。
ところが、最後に出勤した時に総務部長から、9月に退去しろという紙切れを渡された。
まさに唖然とした。僕は約束は守れと言って退去しないでいると、今度は300万円の損害賠償を起こされた。
あまりの理不尽さに、社宅で首を縊ろうかと思ったが、あいつらが喜ぶばかりと思いとどまった。
何度か東京で向こうの弁護士と会い、新発田の裁判所で示談となった。約束通り3月一杯いた。

その話を友人にした時に言われたことである。
まさにそのとおりである。
労働争議が進んでいる時は皆「委員長頑張れ」と言っていたが、1億3千万円を組合が得た瞬間から継続雇用枠のために社員は争って、経営者に忠誠を誓いだしたのである。

会社側の味方をする人間もいたし、僕の味方をした人間(そうは表明しなかったが)もいた。
従順な労働者でなければ次の就職に差し支えるから、会社側の言いなりになるのである。
決して悪いことではない。誰しも、生きていかなければならない。
裸で世界に放り出された時に、生きるというのは大変である。
失業者を守る制度の無い社会の問題である。

この時代のことは今度総括したい。今戦っている人のために。










注3 : 浮気・不倫はどちらが悪いと断ずることはできない


人は、発情期を持たない(受胎可能な時期は外から見てはわからない)。
だからいつもセックスがしたい。
これは発情期を隠すことで、子供の親を特定できなくする(=子殺しの回避)という戦略である。
ジャレッドダイヤモンドさんは論じる。

そのために、夫婦は性欲を充足させるための社会的な装置と考えることが出来る。
しかし、人の性は複雑である。支配−服従による満足、性的な嗜好がなければ深き渇望は解消されない。
多くの神話や物語の主題でもある。








注4 : 「謝罪しているのに受け入れないお前はおかしい」

アジアの諸国にに先の大戦の時の謝罪をしているのに、まだ蒸し返すと怒る人たちのメンタリティである。
しかし、自分の父母に、おじいさんは日本軍に殺され、お婆さんは日本軍に犯されたと繰り返し聞かされた子どもたちにはどんな謝罪が意味を持つだろうか?


コミュニケーションは「受ける側がどう受けるのか」が問題である。



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