インターネットまたはプログラミング教育について考える。

プログラミング教育を行うとか行わないとか、ネットのリテラシーを教えるとかどうとか色々と言われる。

僕は、パソコンの画面を見たりキーボード触ったりのスキルの向上が終点とは思えない。

かつて、パソコンは「入力と出力の間にある箱」でしかなかった。
その後、インターパーソナル(人と人とのやり取り)の道具と捉えられた。
モバイルという分野に広がり社会の仕組みを完全に変えた。
グローバリズムを違った次元で実現している。

そして、家族が失われた時代において、家族をアウトソーシングする『コミュニティ』を構成するツールとなっている。
かつて、家族のアウトソーシングは「カルト教団(注1)」の十八番だったが今は、ネットのゲームがその代わりをしている。

ネットショップで買い物をする場合も同様である(注2)。

イジメの問題もコミュニティの維持という観点から見ることができる。

コミュニティは、「分配すべき価値と供出スべき役務のバランス」の上に成り立っている。


同時に、裏切り者に対するペナルティと権威の根源についても持っている。
そしてそれは、群れ(コミュニティ)が成立するためのプロトコルである。
逆に言えば、共通のプロトコルが群れ(コミュニティ)を成立させている。

多く恩場合、プロトコルは「生得的な下層」と「学習される上層」から成立している。






この項続く
次の本の主題である。





注1:「カルト教団

カルト教団は儲かる商売である。
奉仕する(カネを払う)社員は、ブラック企業も欲しがる宝のなる木である。
とは言っても教祖様は永遠の命を与えてくれるのだから、家の財産を叩き売ってもまだ足りない。




注2:ネットショップで買い物をする場合も同様である。

どこで何を買うかというのは強い規則意識を生む。
地元の小さな商店で商品を買うと言うのは、コミュニティの帰属意識である。