「人生痩せたり太ったり(仮題)」のコンセプト(10)生命のM&A(4) 受精における遺伝子のやり取り

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遺伝子(DNA)は、タンパク質(意味のあるアミノ酸配列)とその使い方(DNAのジャンク部分)をコードする。
インフルエンザを始めとする様々なウイルスはホストに自分の遺伝子を打ち込む。
ウイルスに打ち込まれたDNAをホストの細胞は読み、自分の細胞内のタンパク質の生産ラインで作り、組み立てる。

そこで問題である。
ホストはなぜ、ウイルスの言いなりになって、DNAを読んで展開するのだ?

言い換えればインフルエンザは生命の機能の一つであるということだ。




ここで言いたいことは、「受精という生命の営み」はそもそも、「生命のコミュニケーションのプロトコル」だという事。





細菌のような生命は、生き延びるために、それぞれにタンパク質を作る。
今、私達の作る薬の95%はタンパク質である。ブロッカーといわれる特定の機能を持ったタンパク質である。
ペニシリンの例を出すまでもなく、「生命」は様々なタンパク質を作り続けている。
外的と戦う(環境を変える)ためにタンパク質を作る。

そしてその設計図のDNAを互いに渡し合って読み、自分に役に立つ場合はそれを自分の一部にしている。
これは生命の一番基本的なルール(プロトコル)である。

外部からのDNAを受取って、読み(タンパク質を作り)自分に役に立つか使ってみる。
まるで、本を読むように細胞はDNAを読む。
そして、DNAに従って、タンパク質を作り、さまざまな物質を吐き出して、環境を変える(注2)。

この2年半で1000冊以上の本を読んだ。そして一冊の本を書いた。何とも、思うところが多い。
僕は何かを変えることができるのだろうか?









ミトコンドリアは、真核生命の細胞の一部となった時に、多くのタンパク質の供給をホストに任せたのである。
一つの細胞の中に300〜1000存在するミトコンドリアにとっては、一括してホストに任せたほうが都合がいい。
個別に作る事になるとあるミトコンドリアでは作りすぎ、足りないミトコンドリアもあったりする。
ここで問題となるのは、ニーズをどう伝えるかである。
猛烈に複雑な体系がそこにはあると言えよう。











精子はウイルスに似ている。

まず、ミトコンドリアを持たないので、酸素のない状態ででしかブドウ糖代謝できない。
そのために、射精後の寿命は短い。

ウイルスは自分のコピーを作らせて、ホストの細胞を最終的には破壊する。
それに比べて多細胞生物は卵子と受精すると自分の遺伝子を送り込んで遺伝子のコピーを持った細胞を作り始める。
すべての細胞は、精子由来の遺伝子を持つ。
まあ、折半ということで手を打ったのである。

雄は精子というウイルスを製造する機械である(笑)。
だからといって不倫がよろしいわけではないのですよ。また、時代や地域にとって受け取られ方が違うのも説明できる。環境の中でコミュニティの反応は変わるのだから。
詳しくは「松居一代さんに関する社会の反応を考える」を見てね。








DNAが細胞のコミュニケーションの手段であることは、当たり前のように考えられている。
2000年のゲノムプロジェクトから始まり、創薬という出口を見つけた遺伝子工学の進歩は凄まじい。
「変わり者が夢想している」程度の認識しかなかった「進化論」は実益を伴う産業となった。

DNAの水平移動と垂直移動、任意の移動、発生後の制御のメカニズムの解明(?)などというトピックスが当たり前に語られるのである。

世の中変わるものだ。














雄は、一生体内で精子を作り続ける。
性欲の源である。

どんなに理性があっても、射精したい激情にはかなわない。
不倫という恩は、精子という私達の身体の異物が意識をコントロールしているのだ。

しかし、農耕を基軸にした社会は、「ボスとハーレムの構造」では成り立たない(注1)。
なので、不倫を叩くのもまたコミュニティの維持の原理である。
















注1 : 農耕を基軸にした社会は、「ボスとハーレムの構造」では成り立たない。
ちなみにボスとハーレムの構造とは、採集が群れ維持のエネルギー源の場合の生産手段である。

農耕は、奴隷を必要とする。
自分から進んで(強制される局面も多いが、権威に従うことで利益を得る場合のほうが多い)役務を提供する「従順な労働者」が必要なのである。
奴隷には生活の安定と、欲望の充実が必要である。

性欲と支配欲である。
いずれも家庭がその満足を得る装置である。
また、家庭は食事を記憶する装置でもある。

ヒトは農耕を見つけることで、「採集狩猟」から解き放たれて、多くのものを見つけた。
しかし、「大規模な社会」と言うものを維持するメンタリティは未だ見つけていない。
文明が崩壊する原因なのだろうか?


文明崩壊 上: 滅亡と存続の命運を分けるもの (草思社文庫)

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暴力の人類史 下

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注2 : DNAに従って、タンパク質を作り、さまざまな物質を吐き出して、環境を変える。
タンパク質をつくつ部品(アミノ酸)は全部で20種類。
全ての炭素と窒素を基軸とした高分子化合物を利用する生命(動物)はこの20種類のアミノ酸を組み立てて作られている。
大腸菌も、犬も猫も、ライオンも、ミミズも、梅の木も雑草もすべての生命で共通なのである。
まずこれが驚きである。
植物は、炭素を中心とした高分子化合物を作るが、ほぼ100%が炭水化物である。
そいて、タンパク質を細胞同士のメッセージのやり取りに使う。

太陽光線を受取って、数種類の原子を組み立てて高分子化合物を作る。
エネルギーの潮流の源は太陽にあるのだ。

葉緑素に始まるエネルギーの潮流を動物は長い食物連鎖の中で代謝して脂質とタンパク質を組み立てる。

問題はその20種類のアミノ酸をすべて代謝して作ることが出来るわけではないということである。
生命はコストをいつも考える。
自分で作らなくても手に入る物は外部から手に入れるのである。
ヒトの必要とするアミノ酸のうち9種類は環境(食事)から摂取しなければならないのである。


環境の変化が致命的な問題を引き起こす。
この環境というものが曲者である。僕は「家庭という食事を記憶する装置」の崩壊と生活習慣病との関連を考えている。

多細胞生物は自分の存在自身が環境を変える。



だから死がある。


死は多細胞生命の観点からしたら悲劇であるが、環境の変化に対応して適応するためには必要なのである。
少しだけ、死が恐ろしくなくなった。

父とともに食事を摂って、話をする。
老いていくことを恐れていない言葉の端々に、生きることの意味を感じる。
僕の意識は、生命というエネルギーの流れに対して何の意味もないかもしれない。
けど、僕にとっては意味のあるものだ。


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