糖尿病は恐怖の対象であった 病を隠す文化 糖尿病は家族を引き裂く病

様尿病は恐怖の対象であった。原因はかなり理解されている、
かなりいい方向の「処方」が見つけられている(僕はそれを実証中である)。
しかし、様々な要因から、それは隠され続けている。

患者や家族は自分が病である事を隠し、医師は適切な処方がある事を隠し、医薬品会社は自分たちの薬が直さない薬である事を隠している。
だが、考えてもらいたい、自分自信や家族がそうなった時に、それでいいのであろうか?



僕は、30歳以来糖尿病である。
もう20年になるだろうか、その昔出張でとある地方都市に行った時の宿での出来事である。
ちょうど、第1期の一回目の減量が成功してきた頃の事である。
120kg−>100kg(3ヶ月)

少し思い上がっていた僕は、未来に待ち受けている自分の姿も、深く考えることなく、自分が糖尿病である事を宿の女将さんに話した。

努力して20kgくらい落とした後だった。いろいろな人に褒めてもらいたかったのである。




そうしたら、女将さんは少し前に旦那さんを亡くしたという事を話してくれた。
10年近く前に合併症に追いつかれ、腎臓や目に来ていたそうだった。
最後の10年間が大変苦しんで亡くなったという。
ずいぶん家族で彼に意見した様であった。
その度に彼は面白くなく、外に飛び出してベロベロになった。
やがて、合併症は彼に追いつく。
彼の家族は、「自業自得」だと彼を諦める。

家族に取っても辛い辛い病なのだという事を女将さんは言いたかったのだろう。








多分、あの体験が今の僕を作っている。
家族が憎しみ合うなどということは実に悲しいことではないか。



その後、僕は小規模の減量と、リバウンドを繰り返していく。
結婚して、妻と何度となく諍いを繰り返して、断続的に治療続ける。
SU剤を処方され、徐々に膵臓は弱り、追いつかれるのであった。




彼(彼女)の欲望は酒や炭水化物、タバコを求める。
家族は心配だから、生活が悪いと採点する、カロリーを落とせという。
到底自分では我慢できない様な食事をしろという。

愛する家族のために、恐怖から医者の権威を借りて出来ない生活をしろという。いつの間にか、家族は看守となり、家庭は牢獄となる。

人は、囚われたままに生きることはできない。







僕は炭水化物を自分の体にあった適切な分量にすることで、糖尿病と共に生きる道を見つけた。

糖尿病は、恐怖ではないのだ。

維持することが無理でない、適切な生活を送ることで、この恐怖は、回避できるのである。
ながい道のりの途中であるが、僕はそれを伝えたい。

ここまでこれた事を伝えたい。


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