幸運な病のレシピ( 413)昼:素麺+天ぷら、306mg/dl->138mg/dl->67mg/dlの変動 「薬・インスリン」なし
今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
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【 2018/4/21の食事 】
僕は「II型糖尿病という病気」だと医療関係者の定義する状態である。
僕は今の自分の身体の状態を「病気=開始と終了のある治療が存在する」だとは思っていない。
生きている誰もが、向き合わなければならない現実だと思っている。
糖尿病には「インスリン」という特効薬がある。
幸運なことに、まだ僕の身体は、「インスリン」を必要としない(いずれ必要になった時は躊躇すること無く受け入れるだろう)。
今の所、食事と運動で血糖値を管理している。
そして食事を作り続ける毎日の生活には、大事な2つのポリシーがある。
『人生は我慢大会ではない』
食事は喜びである。
美味しくて自分の身体にマッチした食事を作ることは不可能ではないという信念だ。
年老いて、誰でも臓器や組織は衰えていく。
そしてそんな自分の身体を受け入れていかなければならない。
かつて私達は「家族」というシェルターに守られていた。
年老いて衰えていく自分を見つめてくれる家族がいた。
家族は、食事を作ってくれる。そして家族は、「衰えていく恐怖に向き合っている自分」を老人と呼び片隅に追いやることはない。家族はかつての「若く元気であった自分」と同じ様に「愛している(ご大切である)」ことを伝えてくれる。
しかし、私達は「家族というシェルター」を失ってしまった。
衰えていく自分の価値を見出す事、年老いた自分に最適な食事は、自分で見つける他ない。
『嗜好品は程々に』
嗜好品とは、私達の身体に自分位しかわからない「喜び」を与えるものである。
自分の体が求めるものを、求めるままに手に入れていくことは多くの災厄を招く。
かつて家族という締付け(バインド)が厳しくそれを禁じていた。
しかし私達は家族という「強制的なバインド」を捨てて自由になった。
どの様に生きれば良いのだろうか?
そしてこの問いかけには誰にでも効果のある「薬」も「処方」もない。
答えは、自分の中にしかない。
僕は僕の生き方を探す。
3回測ったが、いずれもこの数字であった。
ここまで下がるとは思えなかった。
ちょっと驚きである。
夕食に、ノンアルコールビールとコンビニで買った蕎麦食った。
30分後、119mg/dlである。67mg/dlからのアップなので50mg/dlのアップである。
もう少し上がると思う。
1時間後190mg/dlである。まあこんなものであろうか。
ノンアルコールビールは心地よく、ビール抜きの食事が出来る。
少し驚きである。
昨日は友人と酒のんだ。
大体、お酒のんだ翌日は血糖値が上がる。
測らなかったが、150mg/dl位だろうと
素麺はまたよく上がる。
けど天気が良かったので、150gほど素麺を食べた。
僕の大好きな銘柄である。
2時間後でこれだから憂鬱になってしまう。
1gのブドウ糖で、僕の身体は5mg/dl血糖値が上がる。
おおよそ予想通りの上がり方である。
素麺も、予想通り美味しかった。
少し寝て、夜はおとなしくしていよう(笑)。
お泳ぎに行こうかと迷うが、だるくていく気にならない。
運動は血糖値を下げるが、その瞬間に筋肉組織(随意筋)がインスリンの許可無くブドウ糖を取り込むから下がるのである。
今この瞬間に泳がなければあまり意味はないのである。
今この瞬間の高血糖は身体の自然な反応である。
何も恐れることはない。
人生の喜び(素麺)とのトレードオフ(交換条件)である。
その価値はある(笑)。
2時間ほど睡眠をとった後での血糖値である。
測る直前の尿には塔が出ていなかった。
おそらく、300超えの直後の尿にはでていたのかもしれない。
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