父母と飲む ユーモアは現実を受け入れるための技術
最近は、毎週一回は父母の実家で一緒に食事をする。
隣に家を建てた時は月一回皆で食べようと行っていた。
年寄りの食事は、こぼしたり、歯のない口を大きく開けて笑ったりと、余り他人には評判が良くない。
なので、僕一人が一緒に食べる事になった。
季節の折々や母の誕生日には叔父さんを招いてごちそうを作る。その時は少しおしゃれして、食事会となる。
最近は落ち着いてきたようで、話題も、楽しい。
ほとんど馬鹿話である。
自分の『ボケ』(物忘れの激しさ)をネタにして冗談をいうのである。ユーモアは現実を受け入れるための技術である。
『ボケ』と言うのは、役所の定義(行政用語)では『認知症』と呼ばれる。施設に入るための条件の一つである。
今の所、父母は運の良いことに施設に入る必要はない。
誰かの言葉で、『なぜ笑うのかと聞かれたら、笑っていなかったら泣き出しちまう』っていうのがあったなあ。誰だったろうか。
桜沢如一さんは『人生の幸せとは、快食快便、ワハハと腹の底から笑うこと』と言っている。
確かに5月くらいの母は怒ってばかりいた。
やっと、いい感じになってきた。
6月から医者に行っていない。
老人は、寂しいから医者に行くのである。老いと人生の空虚は決して医者では直せない病である。
また、ショックなことがないといいのだが.....................
老いていく現実は苛酷だが、受け入れる他ない。
安定剤で逃避してもろくなことはない。
それは全てに人が通る道である。
ガープは言う、「すべての人は死に至る病(we are all terminal case)を生きているのだ」と。
毎日食事を作るが、同じものを食べるようになってきた。
考えてみれば、ぼくも55歳である。
食事の形は高齢者型になってきているのだろうなあ。
僕はどんな老人になるのだろうか。
いつも考える。
梅雨が開けたら梅干しを干すことになる。
楽しみである。
『鮭と鶏肉のレモンバター蒸し』
タジン鍋で、つくる。簡単で好評である。
残さず食べてくれる。1)タジン鍋にアルミホイルをしく。焦げないようにである。
2)玉ネギ(半個)のスライスをしく
3)小さく切り、塩で揉んだ「鮭と、鳥の脂身の少ない肉」を敷き詰める
4)キノコ類、レモンの薄切り、をしく
5)バターを小さめに切って、上に乗せる。
6)最後に青いもの(今回はピーマン)を乗せる。->こうすると、青いものが煮えないのでいい。
沸騰後10分弱火で美味しくなる。
玉ねぎのスープで煮るような感じである。「鮭のアルミホイル包焼き」と同じ事なのであるが、タジン鍋を使ったほうが煮汁が逃げないし盛り付けが簡単で食べるのも楽である。
『真鱈の鍋』
毎日『鍋』を作るのだが、今日は鱈を仕入れたので使った。
冷蔵庫の豚の挽肉をひとつかみ入れる。
なるべく多くのタンパク質を入れるようにする。
鱈は脂質が少ないのでなにか入れるといい。
一鍋作って持って行くと、余った分は冷蔵庫に入れて、翌日の昼食に食べる。
昼に良質のタンパクを摂取すると、体内でのタンパク質の代謝に良い。朝は味噌汁を作って持っていくのでそれを食べる。適切な塩分補給となる。
今日の食事は3階建てである
1階は鍋とレバニラ炒め
レバニラ炒めは、子どもや妻のための料理である。
母は細く切った一切れをおいしいと言って食べた。
2階はヨーグルトと刺し身、鮭のタジンなどである。
いつも、母はヨーグルトを最初に食べる。
今日はバナナ入りで、美味しい美味しいと言って食べる。父も同じである。
多分人生で、ヨーグルトを(継続的に)食べ始めたのは今年からのことであろう。
便秘の悩みが消えたようである。
マグミットから脱却できたのはヨーグルト効果である。
3階は僕の酒である。
実家には氷がないので持っていく。
糖質0ビールである。
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