わが禁煙の記 

 

タバコは中々止められない。
ニコチンの中毒
吸う人との付き合い。
一酸化炭素がクラクラさせる気持ちよさ。
様々な要素がからみ合って喫煙という習慣を形作る。

父は83歳で、タバコを吸う。

タバコを子どもたちはどう感じるだろうか。
僕の人生の中でのタバコの事を少し書いておきたい。

高校の頃僕は電車通学で1時間くらいをかけて学校に行っていた。
その頃タバコを吸い出したと思う。
上京して、大学の頃、すこし吸っていたが、少しだけである。
会社に入ってからもちょこちょことしか吸っていなかった。

ソフト会社に転職した所で猛烈に吸うことになる。
一日20-40本というのは少し多いほうかもしれない。
年一回、1-2週間くらいは咳が止まらなくなって、ブロン液を飲みながら過ごしたものである。

胸の裏側が痛くなって動けなくなる事が何度かあり、これは喫煙による狭心症だなと勝手に思い、死ぬのが怖くなってやめた。
体重が120kgで糖尿病と診断されたのもこの頃である。3ヶ月で25kgダイエットしたのもこの頃である。

死の恐怖は確かに強烈だ。


その後、適度の喫煙を始める。
時折やめようと思うが、止めることはなかった。



たしか大阪にいる頃、アメリカでタバコ会社がタバコにニコチンを増量させていることが判明して(アメリカでの)たばこ離れが起こったことを知る。
そういう話が大好物の僕は縁を切ることが出来た。



その後、新潟に帰って、工場に勤めてしばらくしてからまた始めた。
8時からナッパ服着て油まみれ。
工場で働いたチームが10時の15分休みに車座になって一服する開放感はたまらない。
なにせブルーカラーにはタバコが必需品である。
それまでの人生を諦めて、工場に慣れてきた頃始めたような気がする。
多分結婚する少し前である。

会社は倒産させられる、労働争議を経てソフトの仕事に戻る。

また吸いだすが、2-3日で一箱であった。

2011年ひどい目にあって、翌年大きな仕事が入る。
2011年ストレスがひどく毎日一箱になった。
胸の奥が痛くなって、ニコチンパッドを使ってみた。
何と凄いことに、吸いたい気持ちが無くなったのである。

驚きである。

ニコチンの中毒状態をパッチを貼ることで軽減できるのである。
3週間でタバコと縁が切れた。

そして今年、また吸うようになって、量が増えた。
咳が止まらなくなって、かなりヤバイ状態が2週間くらい続いた。

4日前にニコチンパッチを買って、半分に切ってつけることにした。
全く吸わなくなって4日めである。
咳も止まった。




ニコチンパッチは、喫煙と言う習慣を形作る要素のうちの「ニコチン中毒」と言う面を軽減化するのである。
パッチを貼ると吸いたくなくなるというのはいかに人間が物質に操られている存在かよく分かる。
感動である。



またいつか吸い出すのだろうけど、人生はそんなものだろう。


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