僕が医師だったら糖尿病の患者にどんなことを聞くだろうか?(1)

以下の記述は2型の患者(炭水化物のとりすぎに起因する)に対しての物である。1型の患者にとってインスリンは福音であり、血糖値の生活の中での傾向の理解(血糖プロファイリング)を通して「最低の量を最小の回数」使用することで長く健康な人生を送ることが出来る(バーンスタインの原則)。


昨日の不愉快な診察の後で色々と考えた。


僕は糖尿病を、『米小麦コーン砂糖依存症』と位置つけている。

意識は細胞の欲求から逃れることは出来ない。
細胞は自分の欲求が総体としての体に破壊的な影響をあたえることがわからない。

あたかも、個人の行為が地球環境をどう破壊するか分からない様にである。



アルコール、麻薬、タバコ、覚醒剤や、特定の状況でのセックスや暴力、いずれも、体に破壊的なダメージを与える。

例えば『牛乳アレルギー』のなった人を考えると「その個体が、牛乳という物質を適切に処理できない」のである。
だから、解決策は牛乳を飲まない他ないのである。


ジンマシン出たり、即効で影響が現れるアレルギーはまだいい。

影響が現れるのに20年かかるようなアレルギーも有るのだ。
それが、「炭水化物アレルギー」である。


通常「アレルギー」と言う言葉は特定のタンパク質を免疫系が非自己と認めて過剰な反応を示すことである。
ここでは拡大して、体が特定の物質を適切に処理できなくなる状態を指すことにする。



炭水化物は、生命の共通の通貨である「ブドウ糖」(生命のエネルギーATPを効率的に生産する)を大量に得ることが出来る。
その為に、炭水化物の摂取に対して細胞は「ご褒美」を出すのである。
その快感物質に意識がコントロールされている状態が中毒と呼ばれるのである。

細胞は自分たちの入れ物が壊れる結果になることも知らないで、求めるのである。
まさに盲目の欲求者である。


考えてみれば、すべて中毒はこの構図を持つ。



そう考えると、糖尿病の治療(生活改善)は、依存症の克服プロセスと同じなのである。

その人の生活を知って、人の作為を予測する。

エレメンタリーによればアメリカでの依存症治療のためには、「付添人」「支援者」という人物がいるそうである。

人のつながりの中で依存症は克服されるのだ。
同じ問題持った人間どうして互いにつながりを持つことで、依存症を克服する。

ぽんと薬を渡して簡単に終わる問題ではないのである。






無論、炭水化物中毒を克服するために、インシュリン中毒に飛び込むという選択も有る。
そして、医師も、患者をインシュリンや血糖降下剤で治療する売上の中毒なのだ。



医師も、経営者として困難な人生を生きる。他人の中毒のおかげで生きていくというということはヤクの売人である。


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