糖尿病の食事学(7):「正しい食事」宣言。今こそが大事、諦めてはいけない。

2011年6月僕は窮地に陥っていた
何とかビジネスを続ける為に沢山の試みをしていた。
そして2011年9月末、とても良い仕事を友人から受注出来た。
飛び込みの成果が出て2012年4月からは新しい仕事にとりかかることもできた。

しかし、僕の食生活は最悪の状態に陥っていた。

2011年11月くらいから左手の人差し指の先端にしびれが感じられた。
毎日、夜中に2−3回のどの乾きと尿意で目が覚めていた。
朝早くに家を出て会社に向かうのだが、会社に着くまでに深夜のレストランや牛丼屋さんで必ずメシを食った。
昼飯はラーメンを作ったり、近くの餃子店で目一杯食った。
おやつは必需品でいつも食べた。
行き帰りの車の中では水筒に入れた水を飲んでも足りなくてコンビニでジュースを買った。
家に着くと尿意がすごくあって、トイレに駆け込んだ。
出張先の朝食は毎日和食と洋食を食べた。
事務所では、ごくごくと水やコーラを飲んだ。
1時間に一回はトイレに行った。
毎日スーパーで菓子パンを買っていた。

典型的な糖尿病の症状である。
自分でも分らなければならないのに目をそらしていた。
間違いである事は頭で分っていても、どんな食事を組み立てれば良いか判断がつかなかった。

忙しすぎたし、今頑張らねば駄目な事を分っていた。

間違いだった。




5月5日か6日の事である。
いつもの様に牛丼屋さんで牛丼を食っていた。
GWは休むことができなくて、ボンヤリと店内を見ていた。
そこに、多分14-5歳の子どもが母親とおばあさんと共に入って来た。
気がつかなかったのだけど、脳に障害がありおそらく3歳くらいの所で彼女の精神は止まっていた。
店内に入ると彼女は母親の手を振り払って、僕の斜め前のテーブルで食事している男の人の丼に手を突っ込んで牛肉とご飯を自分の口にホウバッタのである。

食べていた彼はかすれた悲鳴をあげて飛び上がった。
そこら中に丼の中身が飛び散った。

母親は、子どもを必死の思いで押さえ店外に連れ出そうとする。
彼女は食べたいからうーうーと声を上げながら振りほどこうとする。

おばあさんは必死に謝りながらお金を彼に渡して3人は外に出て行った。

とても悲しく、辛い光景だった。
彼女にとっては、食べたい物が目の前にあるのだから当然の行為なんだろう。

僕は、その時、彼女と僕は同じなのだと気がついた。

細胞の声が意識を操作する。
正しくない食事だと分っていても、その方向へ行ってしまう。



僕は思う、正しい食事を彼女に食べてもらいたい、と。

彼女の障害は直る事は難しいだろう。
体は成長するから、生理は始まるだろうし、欲望は体を突き動かすだろう。
両親の愛情を考えるといたたまれなくなる。

どう自分の感情を整理して良いか分らない。





その頃、スーパーで糖尿病の特集をしていた2種類の雑誌を見つけた。
糖尿病の食事療法が変わると言う特集だった。

カロリーの制限ではなくGI値(血糖値をあげる要素)の高い食材を制限すると言う物だった。

アントニオ猪木さんのインタビューで彼がインシュリン注射をしながら食事療法を進めていることを知った。



全てが結びついた。



毎日、キャベツを半分以上食べて、肉、魚を大量に食べて満足感の有る食事を作って食べることにした。


まだ三週間だが、症状は全て治まった。
水も飲まなくなったし、指のしびれも随分引いた、夜中に水が欲しくて起きる事もなくなった。

これは恐ろしい事である。
その時の食事が体に反映するのだ。
今こそが大事である。
リバウンドしたと言って悲しんではいけない。
また始めれば良い。



正しい食事なら。きっと続けられる。
一人一人の正しい食事を自分で見つける事が大事なのさ。




いつか、障碍児の家族の人に、食事療法を伝えたい。
愛情を持って繋がりあう家族の為に何かを伝えたい。
人は家族の為に生きているのだから。
そして、世界の人々は全て 拡大家族 拡張家族なんだ。

そうだよね、ボネガットさん。



これはぼくの「正しい食事」宣言なのだ。
必ず、成し遂げなければならない。



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