幸運な病のレシピ( 1968 )夜:カツとじ、鶏唐揚の甘酢、汁
【 2020/3/1の食事 】
仕立直しは大事
仕立直しは作った料理を時間が経ってから食べる時必要である。よく日の揚げ物は食べにくい。レンジで温めても美味しくない。
衣が厚いフライ系は「卵とじ」がいい。
唐揚げはソースに絡める。「甘酢ケチャップ」が多い。僕一人なら豆板醤を使って、ピリ辛味系にする。
「イワシ・サンマ」のような油の多い魚は醤油と酒で煮込む。
ミートソースなどはチーズを載せてオーブンで焼く。汁は新たに継ぎ足す。
手間取らない料理は魅力的
「鍋一つで出来る」とか、「一食喰い切り」と言う食事は台所がきれいになるだろう。しかし、炭水化物中心で「肉魚野菜」の量が少ない。
作るプロセスに「乾燥・濃縮・抽出」が入ることが多い。
美味しさは程々に
そして、レトルトとパスタの美味しさは凶悪だ。お湯入れてカップラーメンの美味しさに叶うものはない。なにせ競争して勝ち抜いてきた歴戦の王者である。そこが問題だ。面倒なく美味しいのだから。
ああ、今日もビールのんだ。
まあ、誕生日だからは(昨日はイブ)。くたびれているが元気である。
少し痩せないとな。
もう「しゃぶしゃぶ汁」が標準になったので題名表示を「汁」にした。
「商品化された食事」「政治的に正しい皿の上の栄養学」が『ガンや、認知症、心疾患に循環器、壊疽に肺炎、透析に眼底網膜症、骨阻喪症にリュウマチ痛風膠原病に難病指定、薬で下がる検査値の異常(糖尿痛颶風高血圧に高脂血症)』を生んでいる。
「病(と医者が呼んでいる災厄)」は食事の反映でしかない。
炭水化物は毒ではない、誰もが抗えないほどに魅力的すぎる。食卓は、炭水化物が中心になり、緩慢で直接的な因果関係の見えない欠乏症を生む。
食事作りは面倒だ、私達が作れなくなったのには理由がある。そして僕は毎日素材から食事を作る。
今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
『炭水化物がいらない食卓』はこちら『幸運な病のレシピ 宣言』は[http://d.hatena.ne.jp/masay
幸運な病のレシピ( 1967 )朝:マユのご飯、「後片けを科学する」
【 2020/3/1の食事 】
くたびれていたので何も作れなかった。
とは言ってもマユのご飯は作らねばならないし、後片付けはしなければならない。
何とか出来た。
「商品化された食事」「政治的に正しい皿の上の栄養学」が『ガンや、認知症、心疾患に循環器、壊疽に肺炎、透析に眼底網膜症、骨阻喪症にリュウマチ痛風膠原病に難病指定、薬で下がる検査値の異常(糖尿痛颶風高血圧に高脂血症)』を生んでいる。
「病(と医者が呼んでいる災厄)」は食事の反映でしかない。
炭水化物は毒ではない、誰もが抗えないほどに魅力的すぎる。食卓は、炭水化物が中心になり、緩慢で直接的な因果関係の見えない欠乏症を生む。
食事作りは面倒だ、私達が作れなくなったのには理由がある。そして僕は毎日素材から食事を作る。
今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
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幸運な病のレシピ( 1966 )夜:スーパーのお寿司、その他諸々、しこたま飲んだ
【 2020/2/29の食事 】
炭水化物は美味しい、酒は旨い
満腹になるまで食事はやめられない。栄養学は我慢できないお前が悪いという。昔は、我慢させることも出来ないくせに患者の責任にする医者を憎んでいた。今は、「家族という欲望を閉じ込める檻」が崩壊した社会の問題だと思っている。「過食・拒食・依存・セーフティでないセックス」いづれも「家庭=企業・商店・農家」と言う図式が崩れた時期と重なる
家族というシェルターが同時に檻であった
「宗教」というラング(古い人は共同幻想と言ったり)が家庭において「食事作り」と言うパロールで具体化される。「延長された表現型」とドーキンスは呼んでいた。
それが、見事に破壊されたのである。破壊と言うよりも今の社会システムを通して新しい形で表現されている。
「生活習慣病、何種類もの薬を飲みながら手術を繰り返す人製の終わり」これもまた、同様である。
僕の取皿
寿司食って、手巻きして、ニンニク食って、春雨サラダ食って、カツ食って。録画したテレビ見てくたびれた。
痩せないわけである。
宴のあと
「商品化された食事」「政治的に正しい皿の上の栄養学」が『ガンや、認知症、心疾患に循環器、壊疽に肺炎、透析に眼底網膜症、骨阻喪症にリュウマチ痛風膠原病に難病指定、薬で下がる検査値の異常(糖尿痛颶風高血圧に高脂血症)』を生んでいる。
「病(と医者が呼んでいる災厄)」は食事の反映でしかない。
炭水化物は毒ではない、誰もが抗えないほどに魅力的すぎる。食卓は、炭水化物が中心になり、緩慢で直接的な因果関係の見えない欠乏症を生む。
食事作りは面倒だ、私達が作れなくなったのには理由がある。そして僕は毎日素材から食事を作る。
今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
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父と暮らす:91歳の誕生日に廊下で倒れていた。(3)2020/3/1 夜中に立とうとして転んでいた。父の誕生日プレゼント『いつだって諦めないで精一杯を頑張る』姿
この記事の続き
masaya50.hatenadiary.jp
誕生日に浮かれ。散々飲んで、4時位にのどが渇いて目が覚めた。
父のペットカメラを見ると畳に倒れているではないか
20日前に転んでいて、救急車をお願いした。圧迫骨折と診断された。
びっくりした。
自分一人で立とうとしたのだ。
飛んでいって起こしておしめを替えた。
身体的には特に何もなかった。
確実に回復してきている。
自分で立てるかかやってみたのだ。
自分という限界を越えようとするのは子供の特権ではない
私達は自分という限界の中で生きている。それを越えようとしないのは生まれたままに死ぬようなものだ。
圧迫骨折であんなに痛がっているのに、立とうとしたのだ。
なんとか今の状態で出来ることをしようとする姿には頭が下がる。
よく介護の記録を読んでいると、「いらないことをして困る」という記述がある。
たしかに面倒を掛けられたくはない。沢山の人を見ている施設で一人一人が自分を試そうとし始めたら大変なことになる。
薬でそんな人を黙らせたいこともわかる。
しかし、誰もがみんな通る道である。
それを忘れてはならない。
僕は介護しているなどと毛頭思う気はない。
身体が衰えていく自分に向き合うことは勇気がいる。
何とか助けになりたい。
僕が苦しんでいた時に助けても合ったのだから今度は僕の番だ。
圧倒的に不利な状況で、何とか生きようとする姿は素晴らしい。
僕はそんな風に生きることが出来るだろうか。
4時位
ベッドから落ちるように降りて、ひざまずくようにして立った。
オシメを上げて歩く。
バランスを崩して、尻餅をつくように倒れた。
テーブルに載せたものが落ちたが、尿瓶はかろうじてそのママであった。
ガラス割ったりしないでよかった。
『いつだって諦めないで精一杯を頑張る』誕生日プレゼントだ。
5時20分
ありがとう。
頑張れじいちゃん!
幸運な病のレシピ( 1965 )夜:チヂミ(イカとニラ)、ラスク(クリームチーズ・鴨のパテ)、春雨サラダ、後に安売りの刺し身で手巻き寿司
【 2020/2/29の食事 】
明日が誕生日なので今日少し飲むことにした。
妻はパートで21時過ぎに安売りの刺し身を買ってくる。還暦のパーティは朝からの料理とチヂミを焼いた。輸入食品屋さんで買った「鴨のパテとラスク」を合わせた。オ−ドブル風になった貧しい家庭でクリスマスしているようで物悲しいだ。
小学校の頃、父の実家(徒歩20分)にクリスマスのケーキを貰いに行ったことを覚えている。みぞれで寒かった。母の実家には親戚一同がよく集まってごちそうを食べた。当時は本家の財産(長男のもの)を分家(他の兄弟)で分けるなどということは考えもしなかった。
食事には「財産の分与」「利子の支払い」「共通の価値の確認」と言う側面がある。
戦前の民法の家督制度は長男に優先的に財産を相続させた。その代わり本家は分家に「利子」を払っていたのである。
農家や家業を持っていた時代のメンタリティだ。本田もソニーも松下も小さな商店だった時代が有るのだ。
社会の変化を学者はきちんと見つめていない。「三丁目の夕日」をもっと読むといい。
僕らは共に一緒に生きる「家族」を失ったのだ。
父の実家は商売をやめ、母の実家とは絶縁した。兄弟とも喧嘩してもう合うこともない。
僕らは共に一緒に生きる「家族」を失ったのだ。
文化人類学のポトラッチとかクラと呼ばれる風習は「家庭=企業」のメンタリティと重なる。
本家の財産を分ける行為を「たわけ者(田を分ける=生産資産を分割する=競争力の低下)」と呼ぶ。
父に午前と午後にイチゴを持っていった。
美味しい美味しいと食べてくれる。
「商品化された食事」「政治的に正しい皿の上の栄養学」が『ガンや、認知症、心疾患に循環器、壊疽に肺炎、透析に眼底網膜症、骨阻喪症にリュウマチ痛風膠原病に難病指定、薬で下がる検査値の異常(糖尿痛颶風高血圧に高脂血症)』を生んでいる。
「病(と医者が呼んでいる災厄)」は食事の反映でしかない。
炭水化物は毒ではない、誰もが抗えないほどに魅力的すぎる。食卓は、炭水化物が中心になり、緩慢で直接的な因果関係の見えない欠乏症を生む。
食事作りは面倒だ、私達が作れなくなったのには理由がある。そして僕は毎日素材から食事を作る。
今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
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幸運な病のレシピ( 1964 )昼:ニンニク・ジャガイモ素揚げ、鶏唐揚、焼売・ウインナ揚(市販品)、鳥カツ、とんかつ、鶏唐揚
【 2020/2/29の食事 】
ニンニクは丸ごと油が冷たいところから入れる
ジャガイモも同じだ。熱くなってきた所(焦げる少し前)で上げる。ゆっくりと熱が入るので辛くない。猛烈に旨い。
栄養学はニンニクが健康にいいとかビタミンEが豊富だという
適切な料理をすれば美味しいのだ。栄養学が食事の指針となるズーッと前から私達は美味しいことを知っている。
所が、その美味しさに説明をつけようとして「欠乏症」が生じる化学物質だけが健康に大事だと栄養学は言う。
この美味しさに説明はいらない。身体が嬉しがっているのだ。
油の温度が上がった所で入れると。あっという間に焦げる。
水分の多い野菜なので外側からジックリと内側まで火を通さなければならない。
こうやって出来た料理を「素材の水=生命活動の作り出した代謝物」大切にした料理という。
は美味しい。
沢山の種類の揚げ物を一括して上げるのは楽しい。
揚げる鍋が空くこと無く、整然と上がっていくのを見るのは楽しい。大きな絵を描いているようだ(笑)。
「商品化された食事」「政治的に正しい皿の上の栄養学」が『ガンや、認知症、心疾患に循環器、壊疽に肺炎、透析に眼底網膜症、骨阻喪症にリュウマチ痛風膠原病に難病指定、薬で下がる検査値の異常(糖尿痛颶風高血圧に高脂血症)』を生んでいる。
「病(と医者が呼んでいる災厄)」は食事の反映でしかない。
炭水化物は毒ではない、誰もが抗えないほどに魅力的すぎる。食卓は、炭水化物が中心になり、緩慢で直接的な因果関係の見えない欠乏症を生む。
食事作りは面倒だ、私達が作れなくなったのには理由がある。そして僕は毎日素材から食事を作る。
今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
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幸運な病のレシピ( 1963 )朝:おでん(味噌味)、黒豆、鮭、アジの開き、豆苗スープ、マユのご飯
【 2020/2/29の食事 】
この時期のオデンは美味しい。こんにゃくが売っていたので、うまかろうと思ったら買っちまった。
最後に味噌味にした。甘さが出て美味しい。下茹でした鶏むね肉、ドンコを入れてジックリと味をまとめる。オデンは楽しい。
今夜は還暦の誕生会だ(笑)。免許も更新できた。
豆苗スープは味噌汁に空きた時に良い。ホウレンソウ入れるが、お浸しにする。
黒豆は時間がかかるが美味しいものだ。市販品のように甘く味を入れなくとも良い。
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厨房仕事は休日も祭日もない。
いつも同じ様に魚を焼いて肉を料理する。昼も食べることが出来る量を作る。
家族が家にいる時は特に気をつける。
食事はコミュニティ(家族)のパワーバランスを表す。
とは言っても、カップ麺など食べているのを発見したりする。怒ってはいけない。
作ったものを食べてくれない時に「食べる人」のせいにしてはならない。食べてもらえないのは料理以外の問題が原因である事も多い。
「過食・拒食・依存」は現実に向き合っている孤独が食事に現れるのだ。
素材から作ったあなたにチューニングされた食事が「多重投薬と繰り返される手術」の老後からあなたを救うとしたらどうだ?
家族はいがみ合うことも多いが共に生きねばならないのだ。では、力を合わせて慈しみ合うことが大事だ。
いずれ一人で施設で死ななければならないのは仕方がない。それは今の社会の形だ。
けど死に方はピンピンコロリ(医者にかからないで死ぬまで頭シッカリで生きる)と決めている。
「商品化された食事」「政治的に正しい皿の上の栄養学」が『ガンや、認知症、心疾患に循環器、壊疽に肺炎、透析に眼底網膜症、骨阻喪症にリュウマチ痛風膠原病に難病指定、薬で下がる検査値の異常(糖尿痛颶風高血圧に高脂血症)』を生んでいる。
「病(と医者が呼んでいる災厄)」は食事の反映でしかない。
炭水化物は毒ではない、誰もが抗えないほどに魅力的すぎる。食卓は、炭水化物が中心になり、緩慢で直接的な因果関係の見えない欠乏症を生む。
食事作りは面倒だ、私達が作れなくなったのには理由がある。そして僕は毎日素材から食事を作る。
今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
『炭水化物がいらない食卓』はこちら『幸運な病のレシピ 宣言』は[http://d.hatena.ne.jp/masay