幸運な病のレシピ( 2741 ):レバニラ、鳥地獄、ハンバーグ、汁、魚、お裾分け7号

【2021年10月28日】お持ちする先は母父の頃から庭の手入れをお願いしている庭師さんで、お母さんと一緒にお暮らしだ。なので3つお裾分けする事にした。レバニラと鳥地獄(ソテーしてソースに絡める)とハンバーグを作った。サイドはジャガイモと人参のバターソテーに魚。やはりこれだけを一気に作るのは辛い(笑)。
サンプルをお持ちしてから魚が抜けているのに気がついた。慌てて持っていった。くたくたになって夜の部のプールは休んだ。

お裾分けというのは自分の食べるものを隣近所に差し上げることだ。とても大事なことでかつては当たり前にされていたことなのだ。そしてもっと大事なことは人と人との結びつきだ。私達はサンゴのコロニーに多くの生命が共生するように、地域で生きている。それは行政が行うように単に冷凍の弁当を補助するだけでは出来るものではない。

僕の母はいつも近所の人にお裾分けしていた。
知り合いで一人で人生を送っている人とのつながりを大事にしたのだ。Uさんという母子家庭の方とのことを思いだすと僕は涙が止まらない。当時母子家庭などというのはとんでもない話だった。噂では、お妾さんだったと聞く。新発田の赤線地域の傍に小さな手芸店を営んでいた(1960年の売春禁止法以前は賑わっていた地域である)。息子さんと2人で暮らしていた。母はいつも裁縫道具を買いに行っていた。息子さんの成人式には僕の持っていた背広を差し上げたらとても喜んでくれたという。やがて息子さん(なにかの障害があった)は早くに亡くなり、手芸店は近隣に出来た大手のお店に客を取られてしまい始める。
母が亡くなった後で父が歩いて行って話をしてきた。どんな話をしてのだろうか。母の供養になっただろう。
数年前から、お店の前を通るともはやそこはお店はなく空地になっている。そして昨年父も亡くなった。

小さい頃、お店に一緒に行ってきれいなボタンを探しては母にねだっったことをよく覚えている。使うことのなかったボタンは今も家にある。一度、実家に遊びに来ている所で、マーちゃんいつもボタン探していたねと笑っていたことがあった。誰の記憶にも残らない父母とUさんの思い出はもはや想像することしか出来合い。

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