幸運な病のレシピ( 1047 )朝:白子と大根の味噌汁、鯛の切り身、ナバナお浸し、目玉焼き、父の朝食

今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
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【 2019/2/27の食事 】

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白子の味噌汁は大好物。
飲み屋なんかでポン酢のものを食べるのもいいけど、大根と薄揚げの味噌汁が一番好き。


幸運な病のレシピ( 1047 )朝:白子と大根の味噌汁、鯛の切り身、ナバナお浸し、目玉焼き、父の朝食

小さい頃からこの味で育ってきた。
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父が来たので出したら、「うまい」とつぶやいたのが聞こえて嬉しかった。

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ナバナは時折半額のところに出ているので見かけたら欠かさず買う。


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鯛は半悪だった。


昨日の20時からのスーパーは大量であった。昼くらいにおでんを作ることにした。


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母の仏壇にお雛様を出した。女の子が欲しかった母は僕に可愛い服を着せていたそうだ。今はもう女装はしない(笑)。


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この頃は家族で食事を作った、父は魚をさばき皿を洗った、母が食事を作り、皆で一緒に同じ物を食べていた。
文句を言えば怒られた。
たまに家族で歩いていける映画館に行って、帰りにお寿司屋さんにいって大喜びだった。
間もなく59歳である。

 
夏になれば蚊が血液を交流させ、、汲み取りトイレと様々な虫(ハエや回虫)たちが家族全体の、そして肥溜めが地域全体の腸内環境をシャッフルした(笑)。

社会は貧しかった。ようやく戦争の傷は萎えてきたものの、人は簡単に死んだ。そしてともに生きていた。
お店で食事など売っていなくて、家庭で作り、家族のために自分を犠牲にしていた。


父の兄は若くして亡くなった実兄の妻と結婚した。
離婚しても女ひとりで生きることなど無理だった。
そして、甥っ子を自分の子供として育て、実家の跡取りとした。
その叔父も、壊疽で足を切断する直前になくなり、実家に皆が集まるなどということもなくなった。もう葬式でも通知もない。
 
ものの見方はその時代に生きていた人たちの生活を知らなければ理解できない。