僕のマイクロバイオーム論(7)社会を作り出す原動力は何か、そしてなぜ社会は変わるのか?ヒトは特別な生き物か?

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しばらく前からマイクロバイオームに関しての本を読んでいるが、この本は面白かった。
しかし、まだ、擬人化が過ぎると感じた。
なぜ科学はあるのかと言う問いかけに対しての答えが見えない。
僕の知りたいのは、生きることの意味なのだ。
今の状況が間違えているという啓蒙の書は嬉しいのだが、読んでも、元気が出ない本はちょっとつらい。

僕が最初の本を書いた時に、出版会社の編集長に言われた言葉である。

元気に生きていきたい。




数年前からの研究で、家族が食事を記憶する装置だということはわかってきた。
家族がなくなったために、食事を私たちは公的な機関に外注することになった。
そのために、生活習慣病は蔓延している。

ここまでは、なんとか粗筋が出来た、問題はこの先である。


僕の興味は社会を作る原動力は何なのかという問である?


ヒトとそれ以外の生き物を区別するのは「記憶するスパンの長さ」だと思っている。
金魚は金魚鉢の中を一周する間に前のことを忘れるから狭いとは思わないという。
ヒトは自分の一生のある程度の部分(印象に残っている部分)を覚えている。
おそらく多くの生き物はそこまで長いスパンで記憶が持てない(寝て起きればリセットされる)。


そして、それは、食物連鎖の中で、自由に食物を探すために必要な能力である。
コアラは学習しなくともユーカリを知っているし、パンダは笹を知っている。
ライオンは突然シロクマを襲うことを知ることはない。


逆に言えば、食物連鎖から逃れるためには、この力(料理方法を見つけ伝える)が必要だっとのだろう。
このあたりのことは料理の起源を考えると面白いのだが、後の楽しみにとっておこう。



ヒトは、フグまでも食らう(笑)。
この怖いものしらずの柔軟性こそが、ヒトをあらゆる環境に適応させたのだ。
しかし、その調理法をどうやって記憶し、次の世代に伝えたのか?


狭い生活圏で生きる人の数が増えると、人同士は「食事の材料」として相手を見ることが多くなる。
飢餓状態では老人や子供を食べることは当たり前だし、文明に接していない「ヒト」の集団では他の集落を襲い、男は殺し、女子供は「さらう」ことが繰り返されていた。
これは、当たり前のことである。
ジュネーブ条約(戦時下の捕虜の扱いを人道的に行う)は捕虜を戦争の戦利品として扱い、自分たちの奴隷とするための規約であるが、捕虜に食べさせる食事があることが前提である。

奴隷として扱うだけのシステムを持たない帝国は殺戮するのである。
ジンギスハーンの軍団を考えると良い。そして農耕を行う記憶装置をもった集団に飲み込まれていく。

暴力の人類史 上

暴力の人類史 上

暴力の人類史 下

暴力の人類史 下


マイクロバイオームがこの人類の歴史に関与したと思わず考えたくなる

しかし、それこそが、「擬人化」の袋小路である。
ヒトを至上の存在と考えたくなる心である。


マイクロバイオームと私たちは、私達が「神・地球環境・ガイア.....あらゆる信仰の根源」の存在を理解できないように互いの意志は疎通できない(この表現はは前提として万物の意思のぞ存在を認めているので×)。





そして、私たちはどのようにして「感染症に対しての防御手段を記憶したのか?」が次の問題である。
これは面白い問いかけである。
多くの宗教や習俗、伝承は「食料の生産と消費の規範」を定めている。
これこそが「文明」の本体である。


共通のルール(ラング)とそれの具体的な運用(パロール)。
そしてコミュニティ(共通の価値の維持)の逸脱と罰則。
あらゆる「ヒトの作為」の内側にはそれを生み出す一般法則が見つけることが出来る。

マイクロバイオームは全く関心を持たない。
たとえ、自分たちのコロニーが抗生物質で焼け野原になろうとも、黙々とそれを乗り越えるために進化し続けるのである。
細菌が、自分たちを殺そうとする環境に向き合い乗り越えることを進化と呼びたくないのは分かるが、現象としてみればそう呼ぶのが一番いい。
人がお猿さんとの共通の祖先から今の姿になったのは別に神様に近づいたわけではない。
少しだけ長いスパンの記憶を保持する仕掛けを発明することで、多くの環境に適応出来たからである。

言語を生みだす本能(上) (NHKブックス)

言語を生みだす本能(上) (NHKブックス)

言語を生みだす本能(下) (NHKブックス)

言語を生みだす本能(下) (NHKブックス)

言語を生み出す力は、脳のどこかの部位と1対1の対応は持っていない。
脳が言語を司ることは間違いがないが、人の言語の持つ力の説明はできていない。これも面白い話だが後の楽しみにとっておこう。








宗教は、その殆どの規範の中に「セックス・食事」に関してのルールをを持つ。
セックスは、マイクロバイオームの交流において大きな意味を持つ。
他のコロニーとの交流はそのコロニーの維持に有利に働く。
そして、この交流は閉じられたコロニーに侵略者を招き入れる場合もある。

同様に、食事はまさに「生き物という名のコロニー」の存在理由である。







広がろうとするベクトルと、今のコロニーの安全を守りたいという2つの相反を解決する力学が必要になる。
反抗期とか離れ猿と言った現象はこれを上手く説明している。
DNAゲノムの多様化にも寄与するだろう。





記憶は世代を超えては伝えられない。
もしくは、世界の変化に対応することは出来ない。
なので、宗教が存在する。
そして、世界の変化に従って新しい革をかぶった同等品が必要である。



人々が文句なく従うものが必要なのである。


それが今の「政治的に正しい」医学である。

医学の考え方を調べていくと驚くほど変化している。
ほんの少し前まで全く違っていた事を言っていたのに「最新の研究によれば」と言ってまるでちがうことを教えてくれる。

では来週に新しい発見があることはないのだろうか?




マイクロバイオームは個体としての生物(=コロニー)の維持などというものには興味はない。
コロニーが失われたら別なコロニーに引っ越すだけである。だから、自分の好きなものを手に入れようとする。(依存症の元)

しかし、そのコロニーでしか生きることの出来ない「私細胞(精子卵子の受精に起因するDNAゲノム)」はそうはいかない。なので、マイクロバイオームの言うことを聞くと死んでしまわなければならないから、規範を記憶するために『宗教』を生み出した。


わたし達の内には2つの相反する神々が住む。そしてその両者は互いに相手のことも自分たちの生きている世界のことを知らない。



マイクロバイオームと私細胞にとってはヒトの意識とはコトニーを操る神のようなものである。

そして、人の意識にとっても、「マイクロバイオームと私細胞」は抗えない言葉を発する神である。





===== この項目は続きます ===========



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そして、意識(「私細胞=精子卵子に起因するDNAゲノムをもち、このコロニー以外では生きれないマイクロバイオーム」)とそれ以外のマイクロバイオームは期せずして同じ目的を持つようにみえる(多くの場合は)。
コロニーを破壊しようとする感染症に対しての場合を考えればいい。(抗生物質に関しては別な議論が必要になるが)

しかし、やがて蜜月は終わる。

私細胞とマイクロバイオームの利害の衝突である。
これは仕方がないことである。
様々なマイクロバイオームが、身体というコロニーで互いに覇権を競うのである。
様々な代謝物が生まれ、その代謝物が別なマイクロバイオームを呼び、破壊し合う。
複雑系はやがて維持することが難しくなる。

それが生命の終わりの意味である。

死は、「私というコロニー」においては悲劇であるが、このコロニー以外にも生きることのできるマイクロバイオームにとっては単なる引っ越し程度の意味しかない。

擬人化は生命を見る目を曇らせる。

しかし、苦痛は苦痛である。
生きることは苦痛の連続である。



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