娘の進路指導に行ってきた。(1)

こちらに続く......



娘の進路指導ということで、学校で高校の先生と話をした。
僕の子供の進路に関する考え方を伝えたほうがいいと思ったので、文書にまとめて渡した。


アップしたので見て頂戴->life_1.pdf 直


君たちの直面していく社会ってやつは、猛烈にクソッタレで、憂鬱で、不公平に満ちているものなのだということを忘れないでほしい。

『学び続けなければ、このクソッタレな世界をこじ開けることは出来ない。』
それを覚えていてもらいたい。平等だの人権だのという言葉があるのは、それが実際に存在しないからなんだ。

けど、私達は、存在しない物を信じることが出来る事も事実なんだ。

君たちも、信じることが出来るといいなと思う。


20分ほど様々な話したのだ。

こんなもの持ってきた親を見て、先生も面食らっただろう(笑)。



考えてみれば、学校の先生というのも大変だなあ。


1)『親の望みに従った指導』をしなければならない(推測であるが)
いくら自分が生徒に対してこうした方がいいと思っても、そんなこと下手に言ったら、親は怒り出す。
『料理が好きだから、大学やらないで、料理人の修行させた方がいい』などというわけにはイカンだろう。
時に、親に対しては本人の言葉の代弁者になり、子供に対しては親の意向を反映した学校選びをしたりする。



2)自分自身の体験にないことを教えなければならない。
普通のこどもが、大学4年間を過ごした後で、どんな人生を送るのかということを先生は知らない。
もちろん、高尾共が教師の道を歩めば別だが.......



3)多くの場合、失敗した体験を伝えることが出来ない。
教師というのは考えてみれば、『合格続き』の人生である。
まあ本人にしてみれば十分挫折していると思うだろうが...................
そういう人もいるだろうが、大生の場合そうではあるまい。

また、失敗を伝えることは、文部省のマニュアルに反するのではないだろうか



大学の進学率を上げなければならない立場なのは良く分かる。
自分の属している高校の『格付け』が重要なのも良く分かる。

しかし、その『格付け』というのが何に準拠しているかである。
そして、市民にどう捉えられているかである。

大学への進学が至上の価値である事自身が問題なのであろう。

「百年しばた」で僕が問題としているのは、そんな「市民の意識」である。

教師の姿は、市民の意識の鏡像であるに過ぎない。



ところで、『成功した子育て』ってあるのだろうか?
「教育の成功」ってあるのだろうか?



憂鬱である。


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