僕のイジメ(られた)体験


私はこんなことを考えています。

いずれも文科省のいじめに対してのガイドラインとは異なっているものと思います。
しかしながら、数十年にわたるいじめに対する取り組みが有効な効果を持たないことを勘案するとパラダイムシフトこそが必要なのだと思います。

◯「人権教育」ではいじめの解決はできない。
◯いじめは学校に限らなく、社会全体の中の閉ざされた人間関係の中で起こる問題の一形態だ。
◯先生はいじめの外にいるのではなく当事者の一人なのだ。
◯親の姿を見て子どもは育つ。親が別な親に対しての好き嫌いを表すと、それは子どものコミュニティに反映される。



【私の事】

もう30年も昔のことです。
私が中学二年生の時に国語の授業が有りました。その授業では、『頭が寝ぐせでボサボサで、いつもピントがぼけていて、ハナクソをハンカチに拭うような不潔な子が主人公です。その子が手を上げて自分の意見を発表して見直される』という話でした。

先生はその授業の中で「誰とは言わないけれど、このクラスにもいるなあ」と話しました。クラスじゅう爆笑の渦です。笑っていなかったのは僕だけでした。何がおかしいのかわからなかったのです。

その後からでした。私は卓球部に入っていました。同じ部の「エロい」同級生の二人組がなにやかにやとと言いがかりをつけてきたのです。

誰にも相談ができず、部も止め、学校にいけなくなります。

サル山のボスがいじめられっ子を指定する。ボズがいなくなるとクラスの中のNo2がいじめを始める。そんな図式はその後の会社生活でも多く体験します。部長がいつもいじめる社員は他の社員にもいじめられる。時には他の社員の身代わりにさせられる。そんな図式ですね。


その後、親と先生がその子らを家に呼んで一緒に食事をして学校にいくようになりました。その後、その子たちは僕を無視、クラス中の子どもも僕を避けるようになり、いじめていた子は別な子をいじめるようになります。

その後の人生においても、時におりその時の事を考えることが多くあります。いじめについても僕なりの捉え方をするのも、きっとそんな体験が元にあるのだろうと思います。あの時の自分を助けたいのです。

その後、私は大学時代教職課程を取りました。残念ながら、教員には成れませんでしたが.......
何度も職を変わり、コンピュータのソフト会社に勤め、講習会チームの統括も務めました。5年ほど、高校でパソコン部の講師を努めました。2012年には新潟の高校で2週間ITクラスの講師を努めました。新潟県職のIT講習を3ヶ月行いました。多くの講習会を企画運営してきました。実体験として人に物を教えることの難しさも喜びも感じています。そんな中からの実感です。


【何が必要か】


私は多くのソフトウエアを企業に納品してきました。現在もプロジェクトを進めています。
どんな企業でも多くの問題を抱えています。そして、例外なく問題など無いように振る舞います。
いつも最初に行うことは、問題の共有です。
それがうまくいくと「ソフトの開発->導入->業務改革」はうまく流れます

学校と言う環境も同じだと思っています。
いじめで自殺した子どもの事例を見ると、学校は「いじめはなかった」といい、親は納得しません。

無論、家庭の環境に問題があることも多いでしょう。しかしながら、親は子どもの問題を学校に「おまかせ」です。

私は教師という職は非常に特殊な職業かと思っています。
大学を出て学校という社会に入りそのまま何十年も過ごします。
会社員として生きていく子どもたちの未来を知ることはありません。
学校という世界ではプロかもしれませんが、決して万能な存在とは思っていません。

教師にかかわらず批判的に自分の姿を見ることの出来る人は少ないものです。会社の経営者として部下と接する時いつも感じていたことです。

当事者、全て完璧な解決策も進むべき明確な道も見えていません。

親は、高学歴が高収入に結びつくと言う幻想(真実かもしれませんが)を信じて、学校に対して100点満点を要求します。
先生もそれに応えることが評価につながります。
しかし、それは、成長度合いの違う(1年間の幅のある)生徒を相手にしては困難なものです。

いじめられている子に「相談しろ(=相談しないお前が悪い)」と簡単に言いますが、「自殺を考えるような問題」を相談など出来るはずがありません。
2012年私は仕事で大きなトラブルを抱え、朱鷺メッセの11階のオフィスから毎日暗い海を眺めていました。誰に相談ができたでしょうか。
本当の悩みは誰にも相談できません。しかし、「希望」があれば「死」を選ばないで頑張れるのです。

人は世界に絶望した時に「死」を選びます。




【問題はどこにあるのか】




いじめは存在する。
今この瞬間も自殺しようと考えている子どもは多くいる。毎日学校を休みたがっている子どもは多くいる。

学校は、自分たちが万能でないことを認め、親はそれぞれの立場から参加していく。
互いの好き嫌いはあるだろうが、

その事を地域全体で問題として共有するべきなのです。

そして自分でできる範囲でやり方を考えるべきだと思います。

子どもは、決して親の所有物ではなく、私達全体の大事な宝物だと思っています。自分の子供だけではなく、全ての子どもが「希望」を持ち人生を生きることが出来るようになりますように願わずにはいられません。

子どもたちが大きくなって「しばた」に帰ってこれる事が僕(百年しばた)の夢。






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