阿賀野高校生徒の自殺を考える。(2)

2年前、僕は真剣に自殺を考えた。
ビジネス上のトラブルからかなりの額の借金が生じたのである。
自殺でも経営者保険で2千万円が入ってくるのである。
その時、僕の周りにいた誰も気が付かなかったと思う。

その後、会社を経営する友人と話をすると、皆同じような経験をしている。

しばたで、命を断った経営者を知っている。中学の時の同級生である。
全く気が付かなかった。



人生は苦痛の連続である。
時に喜びを与えてくれることもあるが、生きることは辛い。



僕は、運の良いことに、僕に価値を見出してくれている人が現れて、仕事をくれた。
命の恩人である。





自殺は、うつ病の状態のヒトが起こす現象である。
そして、自殺は、確率で起こる。


昨今の研究では、中学校に通う子どもの7〜10%がうつ病であるという。

子ども達は、学校で自分の価値信じることが出来るような教育を受けているだろうか。
そういう(自殺しようとするところまで追い込まれた)経験のない教師たちに教えることは出来ないと思う。



「自分が認められている事」が重要だとも先に実施された学校アンケートでは言っている。
しかし、その内容はお寒い限りである。教師に褒められているかということを聞いているのである。
アドラー心理学によれば、それは独立した個人として認められているのではない。
誰かに、依存しているだけである。

誰に反対されても、嫌われても、自分自身に価値が有ることを信じる強さはどうしたら持てるのだろうか?




僕が死なないで住んだのは、「自分自身に価値がある」と固く信じていたおかげである。
そして、僕の価値を信じてくれたお客さまのおかげである。





PTAの三役会で、学校の目的を「学力の向上である」と言う発言を受けて真っ先に反対した。
確かに、親は良い高校に行って、大学に行って、いい仕事についてもらって、安心できる人生を送ってもらいたいだろう。
だから親は子どもにいい成績を取ることを望む。
当然、学校へは強い圧力がかかる。

学校という行政サービスの目的が市民のニーズであることは間違えがない。
なので学校を責めるべきではない。


しかし考えてもらいたい。
全員の学力を向上した所で全員が幸せな人生は送れない。
東京の大学出てもブラック企業にしか入れない。
地方出身者はていの良く使い捨ての転勤要員になるだけである。


果たして本当に親は子どもの学力向上を、最終の目的として望んでいるだろうか。
僕はそうは思わない。
年老いた時に、自分のそばで暮らしてもらいたいというのが望みだ
長い人生を幸せに生きてもらうことを望んでいる。



「学力向上圧力」はおのずから競争を生む。
他者を蹴落とす為の技術を学ぶことになる。
誰かをイジメて学力向上の椅子取りゲームから蹴落とせれば自分がその椅子に座れると思い込む。

共同で作業して何かを達成するなどということはどうでも良くなるのである。


下村文部大臣が、大学生の落ちこぼれ感が高いのは世界の国の中で日本が一番だという。
これは当たり前である。
小さい頃から学力の向上を求められ、大学の志望校は絶対は入れない大学を第一志望にするから、どんな大学に入っても落ちこぼれである。

もっと言えば、しばたの高校受験状況を見ると同じことが言えるのである。
しばたで、大学に進学できる高校は2つである。
それ以外の4つの高校は大学に受験することを諦めるような高校だ。
無論、大学に行く子もいるが、少数である。

高校に入る時点で強力な「分別」が行われてしまうのである。

その体験は強烈な自信喪失を生む。

世間が、その学校に行っている子は落ちこぼれだとレッテルを貼るのである。
確かに、BE動詞がわからないような子どもは学力のない子どもだし、落ちこぼれと言われてもしょうがないかもしれない。
しかし、自分の価値を信じることは重要だ。
僕は、最初の大学受験の時にbe動詞ってなんだかわからなかった(笑)。

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