2016年の竹の子
母の墓が建ち、竹の子が今年も出てきた。
今年は3回行ってきた。
二回目は息子と二人である。
43本取れた。
竹の子三昧で父も嬉しそうである。
100本を越したので今年はこのぐらいでいいだろう。
たくさんの人たちに差し上げた。
2000年5月に父母と一緒に「竹の子山」に行った記録がある。
16年前である。1月に亡くなった母も元気で腰も曲がっていない。
父もたくさん取っていた。
まだマナも小さくて、マサヒト(下の子)は生まれていない。
時は流れたが毎年竹の子は出てくるのであった。
2016年 | 105本] | |
2015年 | 30本 | |
2014年 | 160本 | |
2013年 | 40本 | |
2012年 | 40本 | |
2011年 | その1、その2 | |
2010年 | 不明 |
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2015梅干作り(7) 漬け込み
『漬け込み』である。
干し終わった梅干しを瓶に入れる。
雨が来る予報だったので、夜露は諦めて、夜中に瓶に漬け込んだ。
瓶に一杯になった。
壊れたものや、種は入れないで干し梅にする。
今年はたくさん梅酢が出来た。2010年は、少し足りなかった。
入りきらなかった分は瓶に入れて紫蘇を上に乗せて梅酢で満たす。
ミニ梅干しである。なかなかいいオブジェになる(笑)
一番上にガーザに入れた紫蘇をかぶせて重石を載せて梅干しが浮かないようにする。
半年後には梅干しになっている。
母から作り方を習った。
母は、そんな僕を梅干し博士と呼ぶ。
「どこの大学で習ったのだろうねえ」と言う。
「あいこ大学だ」というと、愛子さんは「あはは」と笑う。
こんな味も、忘れ去られる。
それでいいのである。すでに僕は祖父母の味を知らない。
本日の教訓
伝統とは、過去を忘れて未来をつくる過程での選択の基準である。
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2015梅干つくり(3) 紫蘇と合わせる
梅酢が十分上がってきたら、紫蘇と合わせるのである。
梅の樽からは、素晴らしい香りがする。
一旦、紫蘇から出ている汁は捨てる(アク抜きである)。
そして、少し洗って、梅酢を入れてよく揉む。
小屋で仕事していると、おふくろが出てくる。
上手に作るねと僕を褒める。
これだけ道具があるといいだろうといつも話す。
後は、静かに土用まで重石(半分の重さでいい)をして寝かしておく。
3-4回外で干して、最終日は夜露にあてて、壷にしまう。
それはもう一月先の話である。
今のところ上手く行っている。
しかし、誰が梅干しを考えたのだろうか。
伝統食と言うのは面白い。
子供達は、梅干し作りに価値を見い出すだろうか?
うちのおやじの実家は乾物屋さんであった。
夏になると、紫蘇の葉で梅干しを2個ずつくるんで軍隊に納品したそうだ。
実家の裏庭で包むのは子供達の仕事だったそうである。
今年は少しやってみたい。
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