noteに書き始めた。食事を作るということは自分の未来を作るということ。食事を買うということは、自分の未来を買うということ。

noteと言うサイトで、次の本を書いている。

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色々な気づきがあって面白い。
noteと言う仕組みは相当面白い。
はてな」が万能サービスだとしたら、シンプルな彫刻刀みたい。
ほぼ、カスタマイズが出来ない、HTMLが書けない。
最初は不自由だと思ったがかえっていいことも有ると思う。

コミュニティ指向であるところも面白い。






食事ネタ創作には目がない。
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糖尿病関係の創作している人もいる
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コメント、どの記事に書いたかわからなくなるのでまとめておこう。


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いいお話ですね。
2020年3月に父が亡くなりました。91歳で、母が亡くなってからはずーっと食事を作っていました。
自分が年取った時どんな食事を食べたいか考えるのって大事ですよね。
介護士の方々の経験が積み重なって未来の自分の食事が見えてくるといいなあ。
http://masaya50.hatenablog.com/entry/2020/04/21/110228

https://note.tsukimotochikage.com/n/nc4ddbfba3d56

かつては病を信じてもらえない時代で、今は他と違うとどんどん病名をつける時代。
家族というシェルターを失った私たちの時代。
病と他人に言われる姿は、それぞれに厳しい現実に向き合う自分の自然な反応だと思います。
辛かったですね。
今度ADHDの話し書かなくっちゃ。僕は還暦のADHDだから.

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なんか、一気に色々なこと考えてしまいました。少し泣けました(謎)。

訳あって、2015年以来僕は毎日、三食(父母健在の頃から)家族に料理作っています。食事こそが、ピンコロな老後のために必要と思い作ります。5年前の母に続いて、3月父が亡くなりました。ああ、食事を作っていたのは、自分(=家族)の未来を変えるためなんだったなあと感じました。

妻と一番喧嘩になるのは味付けが気に入らないと言われたとき。
僕は、文句があるなら食べないで、ただ残せばいいと言います。
人は違いすぎるからだれにでもピッタリの食事などありはしない。
僕の描く未来に文句があるな食べるなということですよね。

僕の食事に不満のある娘は食べようともしない(笑)。
家族でディール有るときには「食べるー食べないー作るー作らない」は大事な通貨」と思います。

食事というのはとても不思議なものです。
誰かの家で食事を御馳走受ける時、文句は言えないけど、レストランで金払ったら文句言い放題(グルメ番組大嫌い)。

自分を表現すること(創作すること、食事を作ること)ということは世界を変えたいという願いですね。
頑張って明日も料理作ろう。