僕のマイクロバイオーム論(20) 道徳は脳に刻まれているか? 善悪・良心・規範・社会・家族の根源(2)

僕のマイクロバイオーム論シリーズはこちらこのエントリーの続きです。



【 起 】

私達が「善悪・良心・規範・社会」を持っているのは紛れもない事実である。
「家族」は多くの生物種が持っているが、「善悪・良心・規範・社会」は持っていない(と思われている)。

ヒトが他の生物と大きく違うのは「脳」の大きさである。
「脳」にその違いの理由があると考えるのは当然である。
そこ前は僕も賛成である。

脳生理学は、「脳の部分」と「様々な記憶、身体の特定の部分の知覚」が対応していることを明らかにした。
ミラーニューロンと呼ばれる部分は、自分の身体以外の部分(他人の行動)さえもあたかも自分の身体の一部のように認識することを暗示している。

脳には身体に対応したマップがあることは確実であろう。



医学は臓器を身体のパーツとして分析する。
つまり、それぞれのパーツには「機能・役割」があり、全体のために奉仕するというモデルである。

脳は私達を社会的存在として振る舞わせる。「脳」も一つの臓器として考えられる。

この小論では、「脳の特定の部分」と「善悪・良心・規範・社会」が一対の関係にはなっていないという事を論じたい。



【 承 】

「生命」は「DNAという設計図」によって作られているという考え方は「同じ人間ならば同じように出来ている」という結論を導き出す。設計図に関しての議論はこちらを見て下さい。

というよりも、同じように行動しない人間は病気だという思い込みから、逆算されているのかもしれない。


人間は平等である(同じように作られている)。
自分は人間である。
自分に理解できない人間は狂っているるか病気である。

これは明らかに狂った三段論法であるが、反駁は難しい。
何故ならば、「人は平等である」というドグマを否定するのは難しいからである。





【 転 】
【 結 】



私達の社会を個人というパーツの集まりとして認識することには賛成できない。
あまり実りある議論とならない。


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== この項目は続くというか書きかけ ===