幸運な病のレシピ( 209 ) 朝2 : 父の朝食 目玉焼きホウレンソウ入り。少し僕のマイクロバイオーム論

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カレーを作って仮眠していたら父が来たので目玉焼きの朝ごはんを作った。
おおよそこれが定番である。
ホウレンソウは蒸すのが美味しいんじゃないかなあ。
目玉焼きは潰さないで食べる。




いつか起きてこない日が来ると思うと、毎朝会えるのが喜びだ。
親孝行と言われる。
「自分の好きなことが出来なくて」かわいそうと言われる。
「父親の年金など当てにしないで(親父を施設に入れて)会社に努めて給料もらえ」ともいわれる。

確かに、そう見えることも多いだろうが、僕にとっては父の食事を作ることは「デズニーランド」より楽しいのである。
森羅万象の神々がそうしろというのである(ゴーストが囁くのである)。

そしてこの土地で生きて、「技術力で世界と渡り合えるソフト会社」を作るために精一杯やっている。


そして、マイクロバイオームの視点から見れば、「親孝行」は何ら自己犠牲ではない。
「嗜好品」だと僕は考えている。

親孝行にはメリットが有るのだと思う。
一緒に食事をするとものすごい量のマイクロバイオームの交流がある。
多種のタンパク質のやり取りである。

セックスほどではないだろうが大きな影響を与えあっている。





個人個人の「衛生観」ほど厄介なものはない。
子供は年寄りを嫌う。

20歳代の頃40歳の女性とセックスをするなどということは考えられなかった。
今は丸まるOKである。といいよりもウエルカムである(極秘だが.....)。

これもマイクロバイオームのタンパク質の交流と言う観点から考えれば整合性がある。

セックスは、卵子精子の出会いのためではなく、体内のマイクロバイオームが自分のコロニーに他のDNAゲノムを呼び込むためのものと考えれば分かる。

嗜好品なのである。




意識というコロニー(身体)の操縦は脳の部分の興奮では説明ができない。
善悪、社会、文明、と言った様々な現象も「脳の部分的な興奮」では何も説明できない。
脳生理学の発展は、たしかに偉大な成果を産んだ。
しかし、「見えないものを無い」と断じる科学を批判すること(宗教が担っていた)を忘れた私たちは「生活習慣病」という大きな災厄に飲み込まれていっている。

というか、「政治的に正しい科学」はかつての宗教のように権威となった。
そして、「政治的に正しい科学」は近代の意識革命が批判した「社会的不公平」を見事に受け継いでいる(笑)。
権威となった「政治的に正しい医学」は、私達を殺し続ける。


死にはするが、殺されはしない(注)。




僕は父を見ていると、自分の姿に重なる。

父はまだ自分で色々なこと(トイレに行けるのが一番大きいい)が出来るし、意識もしっかりとしている。
一時は「譫妄」と言ってもいいのかと思うくらい怒りっぽかったが、今は実に穏やかである。



やがて父とも別れる日が来る。
僕のほうが先に別れないと母と約束した。
守りたい約束ではあるが、こればっかりは僕にもわからない。




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==注==

死にはするが殺されはしない。

僕は永六輔さん大好き。
永さんの反権威的なスタンスと、普通の人たちへの眼差しは素晴らしかった。
小さい頃、ラジオを聞いていたものである。