幸運な病のレシピ( 370 )朝:黒豆、ぶり大根、ギス唐揚げ、鶏モモ唐揚げ

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ちょっと遠いスーパーなのだが、勢いのある鮮魚コーナーがあり僕は時折行く。

ブリとギスが安くて新鮮だった。
お店の人と話をしているうちにたくさん買うことにしてしまった。






ギスは昨年から意識的に食べ始めたのだが、この方法が一番うまいかもしれない。
お店の人は「丸ごと15分」と言っていたが、僕は腹を割いて中にまで粉が付いた状態で揚げた。
揚げたてでも、覚めてからでも旨い。
内臓が食えるのは最高である。

ギス、シシャモ、ハタハタは旨い。


こういうお店では、バックヤードでさばいている店員さんの腕の良さもある。バイヤーさんも、お店の仕入れスジ、全てが「食卓」につながっている。

皆、遠い海からよく来てくれた。そして僕の一部になる。
感謝である。




ぶり大根はめちゃくちゃ美味かった。
なにせ、ブリがカマの部分ばかりである。
お店で解体して刺身を取っている所が良い。



冷たくなっても美味しいギスの唐揚げ。





黒豆は美味しく煮えた。
幸せである。
数種類の豆を代わり順番に食べるパターンが出来つつある。
何よりも美味しくなければならない。







カツと唐揚げを卵でとじた。
仕立て直しの一番良くするパターンであろうか。



父の夕食。
今日はみんな遅いので、先に作った。

父は、よく酒を飲む。
何とか止めてもらいたいと思うが、『強制』しないで止めてもらうことは難しい。
妻とも何度も話し合ったのだが、結論は出ない。
いろいろと介護の本を読んだり、人に話を聞くが、どうにもならない問題だと言う結論に落ち着く。



自由主義市場経済』では本人が望めば必ず手に入る。
ときおり、スーパーで、老人が「酒とおにぎりだけ」を買ってレジに向かうのを見ることがある。


心を牢獄に入れることは出来ない。

無論、施設に入れば断酒ということになる。
中には、お前のためにも父を施設に入れろという輩もいる。
もし、施設に入れられて、酒を止めさせられたら、多くの例のように問題行動を起こすようになる(徘徊など)だろう。
今の医学の定義では問題行動は「病気」である。

病気は「治療」するための許可書であるから「薬を食事に混ぜられる」ことになる。
まあ自分から進んで精神病のカウンセリングを受けて抗うつ剤を飲む方々も多いがそれは勝手である。
厳しい現実に向き合うことは家族が共に向き合わなければ出来ないのである。
しかし、その家族は既にない。


東京に母の10歳年上のある人がいた。
認知症と言われ、諸般の事情で施設に入ることになった。
施設に入った当初は、入居者の人気者だった。
絵の好きな人だったので、切り絵を作ったりして楽しくやっていたそうである。

しかし、そのうちに「家に帰りたいといい」勝手に外に歩いて出るようになり転んで肋骨を折る。
彼の言う「家」とは地図上のポイントではない。
「自分の人生」の「つながり人」に囲まれた空間なのである。
そこは既に無くなったしまったものなのだ。


その後に僕は会いに行ったのだが、完全に座っているだけで目はうつろでなにかブツブツつぶやいている。
精神安定剤を処方されていたのだとひと目でわかった。
確かに、「家に帰りたい」と徘徊し始めたらそれは「異常」で「病気」なのだから『治療』しなければならない。

本人とっては、それが幸せなのかどうかはわからない。
しかし、精神安定剤を処方された時点で、「本人にとって」などという問いはどうでも良くなっているのである。
そして、確実なことは、周りにとって良いことなのだ。



今の社会の問題はここに在る。
そして30年後の僕の問題でも在る。


先週末から、庭の雪囲いをとって、庭の片付けをしている。
母の好きだったツルバラの根本に芝を植えた。


雪囲いをはずして、しまうのはいつも面倒なものだ。
毎日少しづつ外していく。

気が付いたら、松の高い雪囲いが外されていた。
4箇所くらい高い支柱を立てて吊る木があるのだが、一番最後になる。

父に聞いたら、「ああ、俺が外したよ」という。
去年くらいから庭をいじらなくなってきていたので、少し驚いた。




今毎日食事を作っているのは、30年後の自分のためである。
まあ、生きていればであるが(笑)。






家族という「強制」を私達は(喜んで)葬り去った。
社会が「自由主義市場経済」という構造(グローバリズム)を受けいれることで根底から破壊されたという見方もできる。
一見すると「グローバリズム」は豊かさを与えてくれたように見える。
確かに、「飢饉も結核も汲み取り便所、三世代同居も嫁姑の確執も、意に沿わない夫婦のセックスも」生活の中から一掃された。

しかし、その「強制」は「私を守るシェルター」でもあったのである。

今、僕が取り組んでいる「介護」の問題も「生活習慣病」の問題も、同根である。



決して戻ることは出来ない。
そして、家族という『強制』に戻りたいとも思わない。


次の本の主題である。






僕の問題もここにある。

酒を飲まなければ順調に体重は落ちる。しかし一回飲むと2kgは上がる。
「双六」のようである。

今日の酒を「呼んだ出来事」は何となく分かる。

ああ、酒のない国に行きたい。






「依存の功罪」について考えている。
依存に「功」があると知ったのは、この本のおかげである。
依存は現実に向き合った時、心が取る当然の反応なのだ。

ではどう向き合うかが問題である。

僕の専門であるシステムコンサルティングでは下記のプロセスに準じて進める。
仮説を立て、対策を考え、実行のプランを実施する。
実施結果を評価して、ブレを補正する。
そして再度、仮説を立てる。



では、年老いていくという現実にはどう向き合えば良いのだろうか?
「ボケ・忘却」は福音かもしれない。
父を見ているとそう感じる。



寝ている間に体重は減っていく
寝る前に体重を測り、4−6時間後に起きた時に測る。その後も排泄をするために起きたタイミングで前後に測る。喉の乾きはない。この小便は脂肪が代謝されたものである。毎日寝ている間に300-500g以上は落ちていく。ブドウ糖を作る糖新生の作用である。炭水化物を摂らなければ。落ち続けるのである。


==一日の終りまで記録することにしました。翌日以降アップします。==


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