幸運な病のレシピ( 331 )朝:後片付け&早朝血糖値が92mg/dlになっている。

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【 2018/2/23の食事 】 体重の推移はこちら

No 体重 前日比 累計 体脂肪率
44 2018 2 23 86.65 +0.10 -6.75 24.0%


朝5時時点での血糖値が100mg/dlを切った。
時折夜半に測っていた。
ここしばらく、ソコソコ低くてもしやと思っていた。これは嬉しかった。

2015年4月から「自己血糖測定」+「炭水化物無用の食事」で随分血糖値は落ちていった。
しかし、早朝高血糖がなかなか落ちなかった。

A1cが随分落ちていったが、朝の5時とかに血糖値が140を超えることも多々あった。
これは糖質を「炭水化物無用の食事」になっても変わることがなかった。
おそらくA1cが6.5〜7のあたりでウロウロするのもそのせいだったろう。


確かに、「炭水化物無用」だったのだが、「酒まみれ」の食事だったのだ。
たしかに、酒は血糖値を揚げない傾向にある。
しかし、「酒は米屋麦の汁なのだから」理屈から言っても、「脂肪の元」なのだった。


2018年1月11日から酒を止めることにした。
禁酒が40日を超えた。







昼間の血糖値はそれなりに上下する。
今(2月23日 14時)測ったら120mg/dlである。
食後2時間なので、まあ、こんなものである。

早朝は食事後6時間以上経ているので高いのは、食事由来のブドウ糖ではないと思われるのだ。
これを落とすのは、食事のコントロールでは難しいとされている。




生活習慣病の恐怖は私達を覆っている。
生活を変えることが難しい。
この数年間の試みから僕は何か見つけたようなきがする。



高血糖」は糖尿病の結果であり、合併症の原因であると言われている。
だから、血糖値を下げることが「治療」とされる。

血糖値が高いと、血管がもろくなると言われる。

なので、血糖値をインスリンや血糖降下剤で落とす「治療」が「一生続く」のである。
また、クスリやインスリンによる血糖値のコントロールが適切であった所で、生活習慣病の危機は去ったわけではない。


そして、やがて血糖値は落ちなくなる。
余り快適ではない10年の後に死を迎える。


統計学の考え方では、「因果関係」と「相関関係」は明確に区別されなければならない。
高血糖」はと糖尿病は相関関係でしかないと僕は考えている。



高血糖」は数多くある「生活の現象」の一つでしかない。

様々な「生活の現象」(高血圧・高脂質、リュウマチ痛風骨粗しょう症)はあくまでも『生活』の影であり、鏡である。




やがて後戻りの出来ない災厄が現れる。
『癌、壊疽、肺炎、腎不全、脳溢血、脳梗塞心不全認知症、パーキンソン症』医師の言うとおりの生活をしてもこれらの災厄に対する不安は消えない。




医学は「最新の知見とやら」で「過去のデタラメ」を隠しながら、患者に苦痛を与える。

他人(患者)の苦痛が自分の生活(医師の売上)を維持しているのである。
どこがどうなれば良いのかはわからない。

そして自分(医師自身)にも降りかかることなのであるが、それに気がつくのはもう少し先(自分が80歳まで生きた時)である。




予防医学という名前の責任転嫁をするだけである。
白衣の妄言を語り、守れない患者を「助ける(=レセプトの点数を稼ぐ)」のである。
生活習慣病は、あらゆる医療関係者にとって金の卵である。
それを非難するわけではない。人殺しの兵器を売って設ける連中もいる。それに比べればカワイイものである。

医師や栄養学者は、『病院に運び込まれた患者の無知』を嘆く。
なんという傲慢さ!

そして、もれなく生活習慣病に捕まるのである(笑)。
まるで中世に教会の護符を売る僧侶のようである。




巷には多くの「医師の闘病記」が溢れている。




医師には「社会の病」は直せない。
そして、この病は自分自身に返ってくることなのだということに気がついてもらう他ない。








この50年で生活はどう変わったのだろうか?
対策が間違えているから現象は起こる。
医師の言うことを聞かなければいいのだ(笑)。





生活習慣病は社会の中に原因が有る。

医師や栄養学者は『社会』を見れない。



悪夢を見たり嫌なことが多かったが、まだやれる気がしてきた。










禁酒は無論簡単ではない。
過去において何度も試みたができなかったことだ。
糖質制限の人たちも、「糖質0ならば飲んでも良い」と曰わる。
僕もしっかりと信じていた。






「早朝高血糖が収まる」と言うのは驚きである。
どうしたら止められるかが問題である。
もっと内省して、言葉にできるか自分自身に向き合ってみるつもりだ。

諦めるのはまだ早い。
どうしても僕の見つけたものを伝えたい。





とは言っても3月1日は僕の誕生日である。
棚の上にはウイスキー、冷蔵庫にはビール、ワインは白赤一本ずつ「58歳の僕」を待っている。


人生は我慢大会ではない。苦痛の連続ではあるが、時に喜びもある。


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ヒトは社会の中でしか生きることの出来ない生き物である。
「人のあり方」というのは「社会の構造」なのである。

かつて「家族」の一部として生きていた。
しかし、その「家族」と言う枠組みを「市場経済に委託」した。
その結果、自分がどこに属しているのかわからなくなってしまっている。


個人は社会の中に生きる。

問題は明確にすることで、解決を探し始めることが出来る。

質問と答をつなぐ「=」は「代入演算子」である。
「答え」が見つかった時に「質問」は言葉にできるのだ。

答えのない問いは存在しない。
いたくヴィトゲンシュタイン的である。



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