体験と歴史の衝突【 田中克彦先生の『従軍慰安婦と靖国神社』を読んだ(3)。】

田中克彦先生の著作に対して、「従軍慰安婦」の歴史的智識が無いとかいう輩がいるが、それなりに筋は通っている。
日本の国内でしか通用しない「筋」ではあるが........

大事なことは田中先生の語っていることはあくまで「個人的な体験」であることなのだ。


まるで、歴史の智識をヒケラカスことが賢さの証明のよう「どこかの歴史の先生(?)が書いた言葉」をコピペして自分が賢いと思っている輩のコピペは恥ずかしい。

田中先生の行ってきた研究、思索を知るならばどれだけ素晴らしい本か分かるだろう。

残念なことだ。



時代は流れ、そこで生きた人々は消えていく。個人の体験は消えて(武器を売り市民を燃料にして消費する連中に)都合のいいことばだけが残っていく。



やがて、「歴史」という形で出来事は文字となって心を失っていく。
現在の自分の状況に不満を持つ若者は、互いにいがみあう言い訳に国家と歴史を使う。

しかしながら、歴史などというものは、軍産複合体が、市民を燃料として武器を消費させるための道具にすぎない、グローバル企業である軍産複合体が設けるための「右手×左手じゃんけん」である




そんな歴史の役割に対して、私達は「未来」を語り合わなければならない。

もう随分前になるが、『未来をひらく歴史―日本・中国・韓国=共同編集 東アジア3国の近現代史 」と言う本を買った。
アジア全体で使うことを目標にしている歴史教科書なのだが、僕はその未来を見ている姿勢が好きだ。



彼は「今何が有るか(is)ではなくどうあるべきか(ought to be)それがハイランダーの使命である。この2つの言葉から浮かび上がるのは、人々が学び、行動するものの中から浮かび上がる緊張である」{「学習する学校」p376)
社会的正義のための教育という一章の中の一節である。


ハイランダーに関してはまたいつか書かねばならない。
「学習する学校」の中に見つけることが出来なかった(多分あると思うのだが見つからない、なにせ900ページに近い本である)
色々と探したのだが、多分、ハイランダー研究教育センターのことだろう?
ハイランダー研究教育センターに関する研究が少なく、悲しいなあ。このリンクは藤村好美先生(広島大学)の論文である。

ちょっとすごいのである。
読み込んでしまった。
今僕が考えていることに大きなに示唆を与えてくれる。



未来をひらく歴史―日本・中国・韓国=共同編集 東アジア3国の近現代史

未来をひらく歴史―日本・中国・韓国=共同編集 東アジア3国の近現代史



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