僕は成人のADHD

先日子どもが海に釣りに行きたいということで一緒に行った、
その時に「成人期ADHD 診療ハンドブック」と言う本を読んだ。
大変面白買ったのですこし書くことにする。
巻末のADHDチェックリストである。

1 物事を行うにあたって難所は乗り越えたのに詰めが甘く仕上げるのがむづかしい 納品が遅れる。最後にどんでん返しが待っていることが多い
2 計画が立てられない (訓練した結果である)
3 約束やしなければならない用事を忘れる 約束は忘れないが、するべきことを時折忘れる
4 じっくりと考える仕事にとりかかるのを伸ばす いつもギリギリまで延ばす
5 長時間じっとしてられない。そわそわする。 いつも本を持っているようにしている 逆に言えば待ってられないのだと思う
6 過度に活動的になったり何かしなければいけないようになる 空腹時など大変切れやすい
7 つまらない、あるいは難しい仕事で間違いをする 頻繁である
8 つまらない、又は単純な仕事に集中できない 頻繁である
9 直接話しかけられているのに注意を払うことが困難である 営業の訓練で何とかできるようになったが、昔は駄目だった。自分が興味のない他人を無視するのである。
10 物を置き忘れたり、置き場所を忘れる ◎◎◎ だいたい人生の半分は探しものしている。特にメガネ
11 外からの雑音や刺激で気が散る 仕事を中断する言い訳にしがちである
12 会議などの着席していなければならない場で席を離れる 会議に興味が持てないことが多い
13 落ち着かない、ソワソワする感じがする いつも落ち着きが無い
14 時間に余裕があっても一息ついたり出来ない 営業行く時など時にそう
15 社交的な場でしゃべりすぎる ◎◎◎ これは困る
16 相手の話が終わる前にさえぎって自分の話をする ◎◎◎ これは困る、最悪の事なのだが、母(85歳)と会話するときなどいつものことである
17 順番待ちが苦しい 大丈夫のような気がするが…..
18 忙しくしている人の邪魔をする 気をつけている

僕はバッチリADHDである。






こんな文章を2014/4/9に書いた。
自分自身の考える筋道を明確にするためであった。


僕は最初に就職した時から僕は「空気がよめない」大人だった
今でも、反省することしかりである。

27歳の頃当時勤めていた不動産会社で「課長研修」を受けた。
先生に「ええかっこしい」であるという指摘を受け、皆に締められて泣いた経験がある。
今なら、「さもありなん」と感じられる。





「いきれる」児童の制御方法としての指導代行者としてのいじめっ子

私は「いきれる」子でした。多動児(ADHD)と現在では分類される子どもでした。(恐らく)


年の離れた(4歳年長)の兄がおり、家族の中で目立つためには背伸びした言動が必要です。集団の中で、自分の言動がピックアップされた時にその言動を繰り返す事が多かったと思っています。


中学一年の時に、理科の時間に「うるさい」から教室から出て行かせられたことがあることをよく覚えています。
家族で食事していても同じネタを何度も繰り返して、うるさがられたりしていました。
友達が出来るのも早かったけど、すぐに嫌われました。高校の頃「お前は自分が面白い時だけ俺に話しかけるけど、いつも無視するじゃないか」と友人だと思っていた同級生に言われたことは今でも時折思い出します。


恐らく、中学校二年生の担任は、授業中(いきれる)私に対しての対処に対して大変な困難を感じたことだと思います。

教師の指導方法、多動児の行動、いじめっ子がその子を「うざい」と感じていじめる行動、いずれも理解できます。



大学を出て、最初に私は「新評論」と言う会社に務めました。編集会議で編集長に怒られたことを非常によく覚えています。何か、編集長が締めの言葉を話した後で「それはこういう事ですね......」と話してばかりいて、「そういうことは言わなくていい」と言われたのです。私としては自分が理解しているということをデモンストレーションしたのでしょうが、その場の支配者から見るとまさに「うざい」と感じられたことでしょう。私はその会社を半年で解雇されました。



いじめられている子どもに対して、「お前にもいじめられる理由がある」と言い放つ先生がいると思います。気持は良く分かりますが、適切な指導ではないと感じます。(かと言ってどう対処すればいいのか分かりません。)



人間の集団をコントロールして一定の成果を上げることの困難さを感じます。

僕の友人関係を思い返すと、短期間で非常に仲良くなった後に「あいつはうざいから嫌いだ」と疎遠になることがあるような気がします。また、同様に昨日まで仲良しだったのが、嫌われることもあったなあ。




人間一般的の問題として、いかに人間関係を作っていくかという事を学ぶ長い道のりなのだと思います。




そういえば、昔は漫画で廊下でバケツもって立たせられる子どもが描写されていましたねえ。カート・ボネガットさんや筒井康隆さんのエッセイの中にこの問題を論じているものがあります。


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