阿賀野高校生徒の自殺を考える。(6)

休み時間、教室でぽつんと座っている子がいる。

どこのクラスでも、誰とも話さないでポツンと座っているのだ。
僕は授業参観に行くと休み時間こっそりとクラスを覗く。

皆が楽しそうに話をしている時、一人でぽつんと座っているのである。

どのクラスでも、そういう子どもがいることを見つけては心が痛む。

そんな子どもは「うつ病」になってしまうかもしれない。

イジメは関係性の中に存在する。
そう考えなければ、「ネグレクト(無視)」のような現象は捉えられない。

逆に考えれば、その子が皆を無視しているのかもしれない。
生意気と見える時にその子はイジメられる。


僕もそうだった。



かと言って。無理に仲間に入ろうとするには、おどけたり、彼らの興味を引くような言動をしたりしなければならない。
仲間に入れてもらえればいいかというとそうでもない。
その集団のボスに気に入られなければならない。パシリという言葉は実に上手く関係を表している。
そういう関係の中で、ズボン脱がせられて踊らせられたりする。



どうしたら、ぽつんと座っている子どもを「一人きりではない」と感じさせることが出来るだろうかなあ。



ライトノベルや、様々な文学、コミックには「近寄りがたかった人物と友好を深める」という主題が何度も出てくる。
なぜ、そういう主題がくり返し登場するのかということは考えるに値する現象かもしれない。

人は一人では生きていけない。
かと言って、誰かに隷属(自分の価値が認められない状態)して生きることは辛い。





社会に出ても、同じようなことは起こる。
僕らの社会が一人ひとりの価値を認められない状況なのかもしれない。


僕が工場で働いていた時に、新入社員が一人いた。
彼は子どもで、なかなか工場の中に溶け込めなかった。
当時バイクのサークルが有った。
彼は、バイクを買ってよくその話をした。
きっと彼はバイクを好きではなかった。

誰も、彼をツーリングに誘おうとはしなかった。
数ヶ月、職場に馴染めなかった彼は会社を辞めた。

時に彼は今どうしているか思うことがある。
もう向こうは忘れているのだろうが……..

僕は何度も転職を繰り返してきた。
そんな体験を数多くしてきた。



528977